34-印刷技術から見る書物・絵本のイラストレーション

書物や絵本は、印刷され製本することによって成り立っているが、イラストレーションについては、印刷によって生じる表現であることが強く意識されることはあまりない。特に今日の絵本ではまず原画ありきで、細部や色彩の正確な複製、再現を整版と印刷技術に求めることが一般的になっている。カラー写真製版技術の進化がそうしてきた面もあるが、たとえ高精細の複製物として再現しても、絵の具で描かれた原画と印刷物は組成がまったく異なるものだ。

 イラストレーションと印刷技術の問題は不可分であり、それは今日まで変わってはいない。製版から印刷に至る、何段階かのプロセスに内包する創造性があまり注目されなくなっただけである。

 書物や絵本のイラストレーションは、印刷技術の発展がなければ生まれなかっただろう。歴史的にも木版や銅版、石版印刷など版式の特性を活かしながら表現性を探究し今日に繋がってきた。

 活字印刷と書物の普及は、コミュニケーションの形態、知識のあり方や表現の形式に、社会を変えていくほどの構造的な変化をもたらした。そして、ことばで表しきれないイメージを、イラストレーションで補おうと書物と結びついた経緯がある。イラストレーションは、医学書から絵本まで、専門分野を問わず長きにわたり書物を支えてきた。さらに、その後の製版・複製技術の発達と写真や映画の登場によって、視覚表現を多彩で多様なものにし見るものを魅了してきた。

 どのような技術も、単独ではなく周辺技術とその時代の文化、生活環境と関わりながら発展する。さらにアートやデザイン思考と印刷技術が結びついたとき、書物とイラストレーションの造形的価値を高めてきたことも確かだ。

 印刷物になるまでの工程は、その時代の技術と印刷方法によって異なるが、1990年代以降は、パソコンとアプリケーション・ソフトによって、制作に関わる態度はこれまでと異なるものになった。おのずと新たな表現環境も生まれた。パソコン・ソフトが日常的な表現ツールになっている現状では、イラストレーションと印刷表現についても、デジタルの特性を考慮して考えていく必要があるはずだ。

 今日の書物や絵本の形体と見え方は、150年以上経ても大きく変わっていない。しかし、技術の基盤や制作のプロセスは、デジタル環境が浸透した現在と比べるとかなり違っている。変わらないのは、どの時代でも制作から製版、印刷に至るその時の技術が、否が応でも表現の特性を決定してきたことだ。さらに、テキストとイラストレーションが相互に作用して成り立ってきたこと、その結果、書物の構造や修辞法に対して、工夫と飽くなき探究を重ねてきたことだろう。制作から印刷まで、デジタル化が日常になった今だからこそ、このことをあらためて確認しておくことの意義がある。現在がその延長線上にあるからだ。

 イラストレーションはどのような背景から生まれたのか、イメージはどのように視覚化されてきたのか、どのように変容してきたのか、現在という視座から歴史的な経緯を見ていくことによって、見落としていたこと、内在する普遍的な価値や本質的な問題も見えてくるはずだ。

 19世紀から20世紀にかけてのさまざまな印刷技法と書物や絵本からは、当時のイラストレーターと関わった人々が、本づくりと向き合った情熱や姿勢が浮かび上がってくる。かつての技術や表現も今を起点にして見ていかなければ意味がない。

 製版技術は専門的な領域だったが、パソコンとアプリケーション・ソフトが制作ツールになったことで、直接プロセスに関与できるようになった。その結果グラフィック・アートとしての側面が、あらためて注目されるようになっている。20世紀初頭以来の造形上の実験が、デジタル環境の中で同じように体感できるからだ。

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 展示されている書物は、19世紀から20世紀初頭の挿絵入りの物語と絵本が中心になっている。この時期の印刷技術は、木口木版、銅版彫刻、石版印刷、写真製版と、ヨーロッパを中心に飛躍的に発展する。それらの版式の特性に合わせて、イラストレーションの表現性も変化していった。

 書物のイラストレーションや絵本を見ていくとき、ヨーロッパが中心になるのは、画像の精巧な印刷技術の開発と、それに伴う印刷表現と造形の実験、書物の構造や特性が現代に引き継がれているところが多々あるからである。

 初期の文学がなぜイラストレーションを求めたのか、ことば−印刷されたテキストと切り離して考えることはできない。神話や寓話、民話など、口誦で伝えられたものが伝承文学に発展した。文学は、作者が描くイメージのテキストによる言語化であり、おのずと口承による神話や寓話、民話とは異なる。たとえば、印刷された「イソップ寓話」は、紀元前6世紀から継承された口承による物語が再編集され、文字情報に置き換わったものだ。

 イラストレーションは、当初物語の補足や説明、いわゆる挿絵として扱われたが、イメージをテキストだけでは表しきれない限界に気づいていたからだろう。視覚化されたテキストは、口承文芸が持つ身体を伴う音声、身振り、感情などを表すことが難しい。

 文学がイメージのテキストによる言語化であるのと同じように、イラストレーションは、作者が想い描いたイメージを視覚言語化したものだ。表す方法も技術も異なる。それぞれの役割を意識しながら、徐々に補足的な発想から独自の表現を獲得していったことも自然な成り行きだっただろう。

 素朴な木版による視覚画像−イラストレーションは、東洋や中東でも早くから共通の手法として普及していた。ヨーロッパでは、木版が精巧になるのと合わせて、銅版彫刻、エッチング、石版、木口木版、さらには写真製版と短期間に飛躍的に発展したが、活字印刷の普及によって書物が量産され大衆に浸透していったことが大きかった。活字印刷技術は、抽象的な思考と知識の継続的な蓄積を可能にしただけでなく、社会と文化環境を変えていった。

 イラストレーションは書物と結びついたことで、医学や科学、歴史、文学などさまざまな分野にひろがり、専門性を高めていった。子どものための絵本もその延長線上にある。

 ウオルター・クレインやケイト・グリーナウェイ、ランドルフ・コルデコットが現代絵本の祖といわれてきたのは、この時期、子どものための絵本が独自のメディアとして成立し、出版文化が確立していたからにほかならない。

 グリーナウェイのUnder the Window(窓の下で1878)では、ページのレイアウト、文字の位置、余白の取り方など、画面の構成や複数の画面展開が計算されている。すでに立体的な本が意識され、グラフィック・デザインとして捉えている。

 この絵本は初版2万部が印刷され7万部まで増刷が続けられたという。当時としては驚異的な部数である。背景にはエドマンド・エバンズによる多色木口木版印刷の開発と、大量に出版できる環境が整っていたからである。イラストレーションがグラフィック・アートとして注目されるようになったのはこのころからである。

 イギリスでは木口木版印刷が発達したのに対して、ドイツやフランスでは石版印刷による挿絵や絵本が発達した。石版印刷は版面に凹凸のない平面的な版式で、紙に絵を描くのと同じように、石にクレヨンやペン、筆で直接画像を描くことができた。こうした絵画的画像の再現性に優れていたことが、油彩、水彩、素描など、もとの表現方法にあわせた複製化を可能にし、19世紀にはヨーロッパやアメリカを中心に最も有効な印刷技術としてひろく受け入れられた。

 石版印刷は、現在の一般的なオフセット印刷と同様の原理に基づく技術であり、簡便性と汎用性から、複製と印刷表現に対する考え方を根底から変えた。

 活字印刷がテキストの世界を大きく変えたとすれば、石版印刷は画像の印刷表現に転換をもたらす画期的な技術だった。絵画的な画像の再現に優れた石版印刷は、イラストレーションと絵本の表現の自由度を飛躍的に高めた。ドイツでは、エルンスト・クライドルフのBlumen-Marchen(花のメルヘン 1876)、フランスでは、ブーテ・ド・モンヴェルのJeanne d’Arc(ジャンヌ・ダルク 1896)などがそうである。

 石版印刷の実用化からわずか数十年の間に印刷技術はさらに進化を遂げた。写真製版法の実用化とカラー写真印刷である。大小の網点の集合による階調の再現と、3原色の原理に基づいたカラー写真製版による印刷は、その後の出版文化にも影響を与えた。油彩画や水彩画が正確に再現されることは画期的なことだった。イラストレーションは画家にとっても魅力的な分野になり、書物や絵本のためのイラストレーターも職能として確立していく。

 その後石版は亜鉛版やアルミ版で代用されていった。ゴムブランケットに転写するオフセット印刷法は、版面の耐久性を高めさらに量産を可能にした。現在のオフセット印刷と呼ぶ方式に発展する。

 19世紀後半になると、写真凸版や写真グラビア印刷も実用化し、画像の複製手段は写真や油彩画、ペン画など特徴に合わせて選ばれるようになった。

 1902年に出版されたビアトリクス・ポターのThe Tale of Peter Rabbit(ピーターラビットのお話)は、ポターの水彩画がカラー写真製版で再現され、凸版の〈原色版〉で印刷された。この絵本の成功が本格的なカラー写真製版印刷の幕開けとなり、製版と印刷技術は精巧な複製技術手段として一層意識されるようになっていった。

 1910年代になると、イギリスを中心にギフトブックという独特のジャンルが流行した。当時の著名な画家が別刷りの挿絵をつけ、革装に金箔で装飾するなど贅沢な装幀を施した。子どものためというよりは大人も含めたプレゼント用の豪華本で、カイ・ニールセン、アーサー・ラッカム、エドマンド・デュラックは代表的な作家だった。カラー写真製版による凸版の〈原色版〉で、黒を加えた4色刷りで印刷された。〈原色版〉は、アート紙に印刷する必要があり制約もあったが、カラー写真製版による平版オフセット印刷が主流になるまで、高級印刷として画集などにひろく用いられた。

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 アメリカでは、石版印刷から発展したオフセット印刷法がいち早く開発され、原色版に変わる技術として普及しはじめていた。ところが、1930年代から50年代ころまでは、あえて写真製版を使用せず2~3色で印刷した絵本が主流だった時期がある。アルミ版やフィルムに直接描き、2~3色で印刷したものだ。日本では描き版(描き分け版)と呼ばれた技法である。

 描き版は、ペーパーバックなど廉価な絵本の出版という経済的な理由もあったが、初期のリトグラフによる表現の特性と可能性があらためて注目され、グラフィック・デザイナーは積極的に活用した。

 20 世紀初頭に起こった視覚芸術のさまざまな実験、写真や映画の普及、心理学の発達が空間と時間の概念を変え、空間と時間が一体的なものとして認識されるようになったことも関係している。〈抽象〉とともに〈コラージュ〉は当時の芸術運動の主要な考え方であり、線透視図法によらない空間、自由な線と面による構成が特徴だった。

 アメリカでは、グラフ雑誌で活躍したイラストレーターが絵本を創作することも珍しくなかった。複数のページ展開による時間の経過と空間は、グラフィック・デザイナーにとって魅力的だった。絵を描くというよりは、グラフィック・アートとして絵本の表現を楽しんでいる。

 時間の経過を独特の空間で描き出したワンダー・ガアグ、ロバート・マックロスキーのMake Way for Ducklings(かもさんおとおり1941)の映像的な動きなどは、ヨーロッパでは見られなかった表現手法だ。これらは単色だが、2色3色と色を重ねていく場合もそれぞれの版ごとにインキを重ねていく。基本は黒の線画がベースになり、数色のインキを刷り重ねてはじめて色彩豊かなグラフィックとして表現される。グラフィック・デザイナーの積極的な絵本制作への参加が、その後の絵本の表現性を広げていくことになる。イラストレーションは、もともと印刷表現の特性を活かして発展したことを考えれば不思議なことではない。

 このような絵本は、オリジナルの原画が存在しないものがほとんどだ。黒1色で印刷原稿を作成し、数色のインキを刷り重ねてはじめて印刷物としてのイラストレーションになる。1930年代から50年代ころのポスターや絵本、雑誌のイラストレーションにごく普通に見ることができた表現だ。カラー写真製版の精度が高まっていく過渡期や、安価にするための手段として用いられた面もあるが、グラフィック・デザインが、ヴィジュアル・コミュニケーション・デザイン、視覚言語など、デザイン思考に対する関心が高まっていたことも少なからず影響していた。

 ジャン・シャローのA Childs Good Night Book(おやすみなさいのほん1943)は、版画家でもあったシャローが自らフィルムに描いた。黒の線画原稿をもとにカラーインキの指定を施すなど、関わり方はさまざまでも、作家やデザイナーが製版のプロセスに直接関与することがあたりまえだった。

 このような制作方法は、現在でもなくなったわけではないが、絵本に限れば原画からカラー写真製版で制作されることが圧倒的に多い。ほとんどの作家は、原画を再現した校正刷りで確認し、微細な修正を施す程度で製版のプロセスに関与することはまずない。

 一方で、興味深いのはここ20年ほどの間に、かつての描き版と同じような手法のイラストレーションが散見されるようになったことだ。たとえば、板橋区立美術館で毎年開催される「ボローニャ絵本原画展」でも、この10年ほどでパソコンを使用する作品も増え、同様の作品が見られるようになった。ディスプレイ上での描画は、構成はむろん、色の刷り重ねもレイヤーごとに分けて作業が進められる。色の変換や明度、彩度もその場で確認しながら調整できる。形体に対する意識や扱い方も100年前のグラフィックの手法とそれほど変わらない。

 ちょうど、イラストレーターがリトグラフの表現性を生かすために、直接アルミ版やフィルムに描画していたことや、線画をベースに、数色の刷り重ねを構想することと同じようなことをディスプレイ上で行なっていることになる。緻密な描写をする場合でも、デジタル表現の特性が引き出され独自の描法も生まれている。

 デジタル環境は、技術も制作のプロセスも全く新しいものには違いないが、制作者の身体的な関与は、木版や石版と接する態度とあまり変わらない。むしろ、精巧なカラー写真製版によって見えなくなっていたプロセスが、再び身近な形で関与できるようになったと見ることもできる。

 デジタル環境は製版と印刷の概念を変えたが、制作者にとっては、多様な表現の探究と可能性があることをあらためて確認する契機になっている。

 絵本のイラストレーションは印刷による表現であるために、印刷物になるまでさまざまなプロセスを経ている。たとえ原画からの複製印刷物でも本来は同じだ。印刷に至るプロセスに関与することは可能だ。私たちが見ているのは、インキを刷り重ねた網点の集合によるイラストレーションである。

 カラー写真製版があたり前になった今日、あらためて初期の木版や石版から写真製版印刷までの変遷を辿ることは、当時の制作者の思考と創造性に光を当て、探ることでもある。

 過去の技術や表現形式が消えたわけではない。蓄積してきたこと、変化しなかったこともある。版材と版形式が表現特性を決定することは今も変わらない。ましてや、その時代特有の環境の中で表現と向き合う身体的な関わりは特にそうだ。

※このエッセーは、青山学院大学ジェンダー研究センターギャラリーでの展覧会にあわせた講演会(10月26日)資料として配布したものです。

・図書館所蔵貴重図書「オーク・コレクション」展−印刷技術から見る絵本のあけぼの−

・青山学院大学ジェンダー研究センターギャラリー

・10月22日(火)−11月13日(水)