NHKの朝ドラ「ばけばけ」に関連して、ラフカディオ・ハーンを取り上げた番組が幾つかあった。これらを見ながら、『ラフカディオ・ハーンの英語教育』(監修平川祐弘、弦書房2013年)を思い出した。この本は12年ほど前に出版に関わった千田篤さんから送っていただいたのだが、ハーンが教育者としても高い評価を得ていたことをその時知った。松江に赴任した後、熊本大学の前身第五高等中学校で3年間英語を教えていたが、その時の学生が、授業の様子を板書の記録とともにノートに書き写していた。
ハーンの蔵書は、富山大学附属図書館にヘルン文庫として保管されているが、その「講義ノート」の写しが見つかり、出版されたものだ。現在も活動が続く富山八雲会の会員千田さんがノートを発見した。表紙には《友枝高彦・高田力・中土義敬のノートから》と3人の名がある。1894年(明治27)に直接ハーンの講義を記録したのは友枝だが、1943年(昭和18)に高田はこのノートを世に出すために友枝に懇願しノートを書き写した。出版するためだったが戦時下で実現しなかった。北星堂書店の中土は、高田が書き写したノートを返却するにあたり、さらに書き写していた。友枝と高田による二つのノートは現存しないが、中土が書き写したノートが時を経て発見され、出版されたのである。発見に至る経緯も奇跡的だが、あらためて読み直してみると、この資料がどれほど貴重なものであるか再認識できる。
見開きの左ページには、ノートが写真図版で掲載され、右ページには、英文を活字化したものと翻訳文がある。必要に応じて板書された絵も描き写したものが挿入されている。読み進めていくと、言葉は何のためにあるのか、英語を理解するとはどういうことなのかが伝わってくる。このような英語の授業を受ければ、英語に対する苦手意識も変わっていただろうと思う。このような教育方法は、「今でも通じる」ではなく、学ぶことの本質を捉えた基本的な手法なのだと思う。なぜハーンのような教育方法が生かされてこなかったのか、むしろ疑問に思う。
この本の中で、ハーンの研究者西川盛雄さん(熊本大学名誉教授)は、「『熊本高校時代に於けるLafcadio Hearnの英語教授』の内容とその意義」について、ハーンは「学生には同じ目線で接し、教導型ではなく、人格的には等しく〈共に〉学ぶという共感型、あるいは対話型の教師であった」と書いている。「~とは何か?」「~と~の違いは何か?」「~と~との類似点は何か?」といった問いかけからはじまり、「学生にまず身近な問題を問いかけて注意を喚起し、次にその応えを模索させ、さらに説明を加える」指導方法をとっていたという。
西洋と日本の歴史や生活習慣の違いからくる意味や語法にも触れ、使い方や語源を丁寧に解説している。そのために、地域に関わりのある人物や地名、場所を取り上げ、生活と結びつけるよう配慮しながら、知識としではなく、言葉として身につくように指導している。必要なときには絵も板書していた。
たとえば、〈都会、町、村、村落〉のところでは、CITY(都会)とTOWN(町)の違いは何ですか?と問いかける。人口や町の規模を挙げ、TOWN(町)とVILLAGE(村)の違いは、さまざまなものを製造しているのがCITYやTOWNで、農業を営んでいるのがVILLAGE(村)、家屋が数軒しかないところはHAMLET(村落)と応える。さらに、製造業がなくても船が行き来するところは、PORTS(港町)で、harborとtownの両方を含んだ言い方で、大阪のように家屋がたくさんあるところは、港湾都市になる、などである。
語源についても、Cityは、ラテン語のcivitasに由来し、主要都市だけでなく、州や県を表すこともあった。Townは、古英語に由来し、生け垣で囲われた場所を意味していた。portは、ラテン語に由来し、gateという意味。Harborは、スカンジナビア語に由来し、shelter(避難所)、safe place(安全な場所)という意味。Hamletは、小さな村、hamはデンマーク語で町(town)の意味で、BuckinghamやNottinghamに見られる。小さいサイズを表すletは、bookの後ろにつけるとbooklet-小さな本、となり、さまざまな使い方にも触れている。
treeとwoodの違いでは、日本では立木も材木も〈木〉と同じように使うが、テーブルはtreeでできているとはいわない、woodでできている、woodは伐採された木の固い部分、などなど、毎回テーマごとに興味を持つように語りかける。言葉として身につけることは、言葉を通して考えるためであり、そのためには人々の生活や文化的背景を知る必要があるからだ。語源や使い方の謂れを説明するときも、民話や説話、神話を取り上げていたのも特徴的なことだった、と西川さんはいう。日本に来る前から、ハーンは民俗学やその国固有の生活文化から見聞きしたことを数多く著述していた。それが英語の授業にも生かされていた。
西川さんは、ハーンのニューオーリンズ時代の論説記事「言語学習における目と耳の効用」(”The Use of the Eye or the Ear in Learning Languages” 4/11/1885)も紹介している。そこには、言語学者ミシェル・ブレアルの講義内容を紹介する形で「話し言葉は音声による概念の原初的媒体であり、書き言葉はそうした概念を耐久性のある記号で定着する技術である」、さらに「言葉を音声的に身につければその後、教育ある人が綴字法や文法、文法細則、さらにその言語で書かれた文学作品の美を学ぶのが非常にやさしくなる」と。
言葉とイメージによるコミュニケーションは、古代から人類の原初的な行為であり、早くから絵や文字などの記号として表してきた。話し言葉と書き言葉や絵は、それぞれ独立したものではなく関係づけられている。音を伴った話し言葉は、言語の基盤になるものとハーンは位置づけていた。日本の民話や説話に強い関心を持っていたのも頷ける。怪談も、読むのではなく語ることを求めた。
ハーンの授業が、どれほど知的好奇心を刺激していたか想像できるが、楽しいだけではなく生きた英語として身についていた。授業から刺激を受けた教え子や弟子がその後活躍したことからもわかる。
ハーンは、朝ドラ「ばけばけ」をきっかけにもっと注目されていいように思う。ドラマは、今年に入って後半の展開になったが、おトキさんが語る怪談が本になっていく背景や、ヘブンさんの魅力的な先生の一面は見たい。
