スタシス・エイドリゲヴィチウスの展覧会からもう1年が経った。展覧会の準備のために過ごした時間もいまでは懐かしい。ワルシャワにあるスタシスのアトリエを訪ねたのが2018年の5月末、彼と共有できたここでの3日間は忘れられない大切な時間になった。いまでもワルシャワのアトリエの雰囲気が蘇るが、あの時感じたことと、いまあらためて感じることが必ずしも同じではない。
スタシスは、半ズボンにシャツといういかにもリラックスした装いで私たちを迎えてくれた。客人というよりは、これから一緒に展覧会を考える仲間として受け入れてくれたのだろう。
広いスペースには膨大な作品が所狭しと置かれていた。260㎡のアトリエは、公衆浴場やバイク工場としても使用されてきたそうだが、市の所有になり2006年から借りているという。
アトリエは一見雑然としているようにも見える。ところが一通り案内してもらったところで、そうではないことに気がつく。版画、写真、ドローイング、ポスター、彫刻などすべてが収まるべき場所にある。現にすべてが分類され、どこに何があるかがわかるようになっている。
しかも、それは収納というよりはスタシスのスタシスのための展示空間といった様相なのだ。要所要所に作品は観ることを前提に置かれているし、場所や位置も考えられている。一つ一つ解説してもらっているうちに、この場所がスタシスの世界そのものであり、内なる世界と外在化された世界が混交する特別な場所だと認識できる。
両親の肖像画や写真が目に入ってくる。児童期から青年期に過ごしたリトアニア、レプシャイ村の家の模型もある。語っているときの彼の表情は晴れやかで、まるでその時代に戻っているかのようでもある。訪れる前、リトアニア時代の記憶が作品といかに結びついているかを考えていたが、この空間がまさにそのものと確信できた。
記憶を蘇らせ、時間の経過とともに思考を留めていく場所、再現前化されていく記憶と作品が集積されていく小宇宙といったところだろうか。それは、スタシスの記憶と制作の痕跡であり、絶えることなく更新し続けている。
入口近くには4mほどもある大きなテーブルがある。3日間ここで作品の解説を受けながら過ごしたが、ときにリトアニアの民謡も唄ってくれた。父親がビールを飲みながらいつも唄ってくれたという。歌詞に篭められた情景に浸り時を超えていくのだろう。昼食で頂いたリトアニアのスープも格別だった。大きなテーブルは、あらゆるものを繋ぐ特別なもののように思える。
アトリエは、スタシスにとって生活のすべてであり、居心地のよい特有な空間ということだろう。作品に囲まれ、生活のほとんどが制作と構想に費やされていることが伝わってくる。
祭壇のような空間もあり、あたかもアトリエを媒介に異世界と交信しているかのようでもある。リトアニアの記憶、夢想する別の世界、歳月を超えた異なった時間や場所であり、窓の向こうの不条理な現実にも眼差しを向けている。
いまあらためて振り返ると、アトリエの小宇宙とスタシスの作品がはっきりと結びついていく。アトリエで作品に触れたときは、一つ一つに魅了されるばかりで集中することに精一杯だった。アトリエに戻った作品のことを想像すると、展覧会のときとはまた異なった世界として蘇ってくる。日本での彼の言葉も重なり、作品に篭められた奥深い意味と生き様を感じ取ることができる。
スタシスにとって、生きることと表現することが、自分の中で矛盾なく一つになっている。内から湧き出るものをひた向きに描く、この姿勢が変わらない。
一つの形式で表現を長く続けることはない、と語っていたように蔵書票もミニアチュールも集中して制作したのは10年ほどである。しかし、あらためて見ればその形に囚われないだけで、描かれる世界は生き続けている。1日目に熱く語ってくれたのは蔵書票とミニアチュールだが、学生のころ、兵役のころを交えての話も過去をただ振り返るものではなかった。苦難な時代も不条理な現実も彼の中から消えることはない。創作の原点であり、その後展開していくテーマが凝縮されている。
スタシスは独特の顔を描く、一見無表情で異様な雰囲気を醸し出すが、凝視しているとささやくように語りかけてくる。そこにあるのは人間の存在そのもの、愛情に満ちた眼差しである。だからこそ、強いメッセージではなく、深淵にさまざまなことばを見ることができる。
スタシスは人に対する愛情に満ちている。型破りでありながらユーモラスでとても人間的だ。生きることへの誠実さを感じる。両親と家族、レプシャイ村の人たちへの深い愛情がそうさせるのだろう。
アトリエでスタシスと時間を共有できたこと、展覧会に関われたことはとても幸せだった。巡回展がなかったのも、結果的にはよかったのかもしれない。一回限りの奇跡的ともいえる展示ができた、特別の展覧会として心に留まり続けるだろう。