29– アウトプットとインプット

昨年9月から再開した研究会が先日4回目を終えた。参加者は7~8名ほどだが、私にとっては想定していなかった収穫があった。参加者からの希望もあり、これまで私が話してきたテーマを4回に分けて講義した。イメージによるコミュニケーションとイメージはどのように視覚化されてきたか、というのが大きなテーマである。参加者は研究者、美術館学芸員、編集者、翻訳家、表現者と多彩だが、それぞれが抱えている問題意識を刺激し、イメージとことばについて本質的なところから意見交換できるよう心がけた。

 講義するにあたって、まずはこれまでkeynoteで作成したスライドの再編集から始めた。当初は数日で整理できると思っていたが、結果的にはほとんど一からつくり直すことになった。

 参考にした文献にあらためて目を通したことと、新しい図版を加えたためだ。ほぼ月1回の講義でもかなりの時間を費やすことになった。

 最初は大変なことになったと思っていたが、20年ほど前に読んだ本でも、あらためて読み直してみると新たな発見がある。鉛筆で引いた線のことも忘れている。時を経て解釈に微妙な違いが出ていることも気がつく。読み直すことが思いの外愉しい。かつて3分の1ほど読んで止めてしまったものも、別の観点から読める。気がつけば読むだけで1日が終わってしまうこともある。時間があるとはいえ現役の頃とは異なった読み方をしている。

 この歳になってもまだまだ探究できることがあると感じるだけで、気持も高揚する。こんな過ごし方ができるのも、2時間ほど話して意見交換できる場があるからだろう。このアウトプットがあるからインプットすることを愉しいと思うのかもしれない。対象が学生でないこと、仕事の分野が一様でないことも刺激になっている。

 人に話し、伝えるという目的があるからこそ、これまで考えてきたこと、まとめてきたことを整理することができる。振り返ると、つくり溜めたテーマごとのスライド自体が思考の軌跡であり、順に追っていくとさまざまな形で記憶や考えてきたことが蘇る。時を経て隙間をうめたいという欲求が沸き起こってくるのも自然なことかもしれない。

 もともと、よく言えば興味や関心が拡がる、悪く言えば気が散ってしまう傾向があり、専門分野にこだわらない本の読み方をしてきた。現役を退くとなおさらだ。

 昨年秋、ギャラリーショップで見つけたヤーコブ・フォン・ユクスキュルの『生物から見た世界』もそんな本の一つで、読みながら妄想を拡げていった。

 動物は、人間にとって単なる客体ではなく、同じ〈環境世界〉にいる生物であり、それぞれが異なった独自の時間・空間として知覚し適応している、このあたり前のことを忘れている。ユクスキュルの言う「作用空間」「触空間」「視空間」3つの空間に生きている、という言葉に惹かれ、「作用空間」を早速スライドに加えることにした。

 これまで、コミュニケーションの「場」やメディアやデザインの「作用」という言葉をよく使ってきたが、「作用空間」とすることで、説明しやすくなる。ユクスキュルの言葉を引用しながら作成したスライドは数枚であっても、何段階もバージョンアップした満足感があった。

 それは話すことを前提にしたスライドづくりであり、アウトプットすることによって得られる喜びだ。

 どのようなことでも探究に終わりはないと思うと愉しめる。もっとも、衰えていくであろう認知機能と折り合いをつけながらではあるが。