安曇野で私と一緒にワークショップを行っていた卒業生が、当時の活動を振り返り先月から〈note〉で紹介している。10年以上も前になるが、読みながら情景が頭に浮かび懐かしく思い出している。
ワークショップは授業の一環として行われ、知識として理解するのではなく、身体を使って実際にやってみること、そこから得られる経験を大切にしていた。地域に根づいている造形や文化を肌で感じてもらうためだった。活動していたころは、参加した学生にとって、どんな形でもいいから社会に出てから生かされればいいと思っていた。そこで結果が出なくてもいい、しかしその場限りにしない、課題は必ず持ち帰る。そんな想いからはじめたプロジェクトだったが、時を経て記憶を辿り、新たな形にしようとする姿に嬉しくなる。幾つかの課題を整理しつつ、新たな課題に向き合い次に繋げていこうとしている。
昨年からは、最後に制作した絵本『とんすけとこめたろう』が演劇としても活用されている。安曇野松川村の人たちと卒業生たちとの新たな交流も再開したという。安曇野に限らず、プロジェクトに参加した学生たちの中には、今でも地元の人たちと交流が続いているのは珍しいことではないが、一過性のただのイベントでなかったことを証明してくれている。私にとっても、10年ほどの活動がそこで終わりではなかったと実感できることが嬉しい。
私はワークショップの専門家ではなかったが、アートやデザインは生活に根ざしたところで生かされる必要がある、と考えてきたことの実践だった。1999年、偶然はじまった徳島県神山町との縁がきっかけで、手探りで学生たちと試しながらのスタートだったが、その後安曇野に繋がった。学内では得られないフィールド・スタディーは、私にとっても大きな財産になっている。
きっかけになったのは網走での「オホーツク・アートセミナー デザイン講座」だった。私が講師として最初に網走を訪れたのが1998年の夏、それ以来何度か講座を担当した。網走でのセミナーはいつまでも印象に残る。参加者のつくること、表すことに対する情熱と向上心は並々ならぬものだったからだ。
最初の講座では、表面が加工され色の着いた特殊紙30枚を切り抜いたり、切り込みを入れたりして絵本をつくった。でき上がったものは、こちらの予想をはるかに超えた素晴らしいものばかりだった。テーマもほとんどの人が地域の生活や文化と結びつけている。表現することが自然と生活に溶け込んでいる。心から自分たちの町やまわりの自然に愛着を持っていることが伝わってくる。
誰もが芸術・文化に親しめる場所や機会があることの素晴らしさをこれほど感じたことはなかった。主体的に市民が関わり、自ら場をつくり出し広げようとしている。むろんつなぎ役の存在も大きい。網走市立美術館の学芸員だった古道谷朝生さんは、職務を超えて駆け回っていた。中学校の元教員だったこともあり、人と人を上手に繋いでいた。市民との対話から中学生や高校生の相談まで引き受け、時には美大受験のための実技指導も行ったりしている。網走で古道谷さんに出会っていなければ、地域で活動することなど考えなかったかもしれない。ここから私自身が学んだことが多く、いまだに生きている。
2020年2月、古道谷さんに誘われ18年ぶりにデザイン講座を引き受け、網走を訪ねた。その後コロナ禍で途切れていたが、2023年12月再び講座を担当した。参加者の中には20年前の顔も見られ、20数年を経ても、教室の雰囲気や受ける印象は何も変わらない。古道谷さんも現在は館長として相変わらず奔走し、次の世代にバトンを繋げようとしている。
大学を離れて、かつてのような学生とのプロジェクトは組めなくなった。ワークショップを行うことはもうないだろうと思っていた。原点である網走に出かけたことで、一人でも動ける、発展のさせ方はさまざまだと考えることができた。プロジェクトに参加した卒業生たちもさまざまな形で生かしているのだろう。
浜田夏実さんは、安曇野でのワークショップからはじまった活動を自らの視点で跡付けようとしている。バトンが繋がっていけばと思う。
https://note.com/ntmhmd/n/n7fb32c795b80
浜田夏実:地域とアートがつなぐ時 #1|長野県 安曇野 松川村でのアートプロジェクト
https://note.com/ntmhmd/n/n3661952867f6
浜田夏実:地域とアートがつなぐ時 #2|松川村で11年継続したワークショップ