久しぶりの講義–2

武蔵美での3回の講義を終えた。翌日は板橋区立美術館ではじまったボローニャ絵本原画展に出かけたが、展示を観ながら講義の後に書いてもらったコメントと合わせて考えさせられることが多かった。
 私は〈グラフィックアーツ専攻〉には、絵本の表現に関心を持っている学生が多いのだろうと想定していた。ところが、ほとんどの学生にとって絵本は最終的な表現形態の一つでしかない。
 彼ら彼女たちにとっては、画力をつけることが最優先で、絵画の延長線上にイラストレーションや版画、アートブックなどがある。印刷することや本の構造を学ぶことで表現の幅を拡げようとしている。ある意味で自然な考え方だろう。
 絵本というよりはメディアとしての〈本〉に対する関心であり、そのためのイラストレーションである。〈版画専攻〉、現在の〈グラフィックアーツ専攻〉で学ぼうとする理由もそんなところにあるのかもしれない。絵本作家でもある出久根育さんが〈版画専攻〉の出身であることもうなずける。

 ボローニャ絵本原画展には、ウクライナからの唯一の入選者ユリヤ・ツヴェリチナの作品が5点展示してあった。タイトルは「戦争日記」、ウクライナの現状が心に刺さるように伝わってくる。避難場所として使われている地下鉄駅構内の描写、そこには疲れ切った人々と共に犬が何匹も寄り添っている。観る者に訴えかけるように向けられる犬の眼差しが何とも言えない悲しみを湛えている。言葉だけでは表現しきれないイラストレーションの力を感じる。
 ツヴェリチナの作品を観ながら、接した学生たちの中から将来傑出した画力を持つイラストレーターが出てくることを期待しつつ、コメントに書かれていた言葉が頭をよぎった。
 「絵本は小さな子ども向けの本」という固定観念があり、幼児期を過ぎると絵本に接することはなくなったという。同じようなことを何人も書いていた。絵本から受ける印象からか、制作に結びつくような環境を想像できないのだろう。スライドで紹介した絵本もほとんどはじめて知るものだったようだ。
 エドワード・ゴーリーの展覧会に主催者の予測を超える来館者が訪れる一方で、絵本がつくり出される場と受容者との間には、言い表しがたい溝があるように思えてならない。
 あらためて、絵本の現在とそこに描かれるイラストレーションについて考えさせられる。