26-柏木博さんのこと

柏木博さんが亡くなって1年が過ぎた。このほど刊行された『美史研ジャーナル』18号を読みながら柏木さんの存在の大きさをあらためて感じている。
 『美史研ジャーナル』は、武蔵野美術大学 美学美術史研究室が発行する定期刊行誌で、18号には柏木さんを追悼する記事が掲載されている。
 私も「柏木博さんと美術館・図書館」と題する記事を寄稿した。原稿を書いたのは昨年一周忌を迎える前で、特別な想いで書いた。
 私にとって柏木さんは特別の存在であり、訃報に接したときは信じがたく、しばらく何も手が付かなかった。30代のころ、デザイン資料のこと美術館のことについて真剣に語り合ったときの情景が今でも脳裏に浮かぶ。柏木さんの最初の著書『近代日本の産業デザイン思想』(晶文社・1979年)が出版されて間もないころだった。
 当時は戦中戦後に活躍したデザイナーとその活動について批判的に語ることをためらう空気があった。出版直後には厳しい言葉を受けることもしばしばだったという。
 『近代日本の産業デザイン思想』は、柏木さんのデザイン批評家としての立場を決定づけていくことになるが、近代以降の日本のデザインを徹底的に解剖していくとの決意を表明する著書だった。
 60年代後半、さまざまな分野で日本の近・現代を見つめ直そうという機運があった。デザインや建築、映画、写真、演劇、音楽などもそうだ。建築雑誌には、建築だけでなくデザインや演劇など横断的に記事が掲載されていたし、批評活動も活発に行なわれていた。草月アートセンターは、実験映画や音楽の中心的な場だった。
 1966年に創刊された『デザイン批評』は、 戦後デザインの終焉を意識し、新たな批評精神の探求を標榜し生まれた。1968年には草月アートセンターとの共催で、「EXPOSE ’68 シンポジュウム なにかいってくれ いま さがす」が草月会館ホールで開催された。4月10日から4月30日まで5回にわたるシンポジュウムは、会場の通路もうめるほど盛況だった。
 企画・構成は粟津潔、中原佑介、松本俊夫、針生一郎、東野芳明、川添登、総司会は泉真也だった。各回の出演者は、第1回:中原佑介、黒川紀章、横尾忠則、一柳彗、第2回:松本俊夫、今野勉、秋山邦晴、粟津潔、原広司、第3回:針生一郎、篠原有司男、石堂淑郎、高橋睦郎、第4回:東野芳明、高松次郎、羽仁進、唐十郎、第5回:川添登、小松左京、磯崎新、いいだもも、と評論家を含め当時それぞれの分野で先頭に立って活動していた面々である。

 私は第2回のとき、粟津潔の8つのプロジェクション・デザイン「ホリディ・オン・プリント」を手伝うために裏方として会場にいた。8台のスライド・プロジェクターの内1台のボタンを押すためだ。
 まだ学生だった私は、会場の熱気も含めて興奮を抑えられないままボタンを押していた。出演者はそれぞれの立場から思い思いの言葉を投げかける。問題意識の共有というよりは主張の応酬であり、渾沌とした現実をそのまま垣間見ているようで刺激的だった。
 ただ、学生の立場からは変革が求められる状況に対して、何に立ち向かっていくのか、曖昧なままキャンパスに戻っていくしかなかった。結局のところ身近な場所で自ら行動するしかない、というのが正直な印象だった。
 『デザイン批評』は、1969年第9号の編集過程で委員会内部の考え方の違いが明確になり、1970年に休刊するが、12号で実質的に終刊した。

 1970年代に入ると、一時の変革を求める熱が冷め、芸術を横断的、総合的に捉えようとする機運が急速に後退していった。むしろ専門分化が進み、専門領域内での改革を訴える声が強くなっていった。『デザイン批評』の終刊と時を同じくして実験的な雑誌とデザイン雑誌の休廃刊が相次いだ。
 『近代日本の産業デザイン思想』が執筆されたのはこの時期と重なる。柏木さんが憂いたのは盛り上がりを見せはじめていた批評活動の衰退であり、デザインを批評の対象として確立させたいとの強い想いだった。
 草月会館ホールでのシンポジュウムが、渾沌とした日常を顕にし挑発的であったとすれば、柏木さんは、近代以降つくり出された商品としての〈もの〉とそこに纏わりつくイメージの思想を明らかにすることを試みようとしていた。デザインがいかに制度=文化に加担してきたか、歴史的な観点を踏まえ日常の生活品から検証しようとしていた。
 柏木さんと話しながら、デザイン批評をライフワークにする覚悟と並々ならぬ意志の強さを感じていた。出版後精力的に執筆活動は続き、80年代以降のデザイン批評を牽引したことは、デザイン関係者なら誰もが知るところである。
 柏木さんと私は、武蔵美の美術資料図書館のデザイン資料を通して交流を深めたが、穏やかな笑顔と柔らかなしゃべり口調は30代のころからからずっと変わらず同じだった。
 柏木さんにとって、伝えたいことはまだあったはずだと思うと残念でならない。

「柏木博さんと美術館・図書館」今井良朗『美史研ジャーナル』18号