お雑煮 食と土地の文化

わが家のお雑煮は結婚して以来〈ブリ雑煮〉と決まっている。最初に作ってもらったお雑煮が〈ブリ雑煮〉で、それ以来50年続いている。
 妻が博多の出身ということもあって、自然と博多の雑煮になったのだが、娘のところでも〈ブリ雑煮〉だそうだ。夫は東京の出身で、娘は旅行以外で福岡に行くことはないのに不思議な気がする。
 慣れ親しんだお雑煮の作り方が受け継がれていく。多くの場合は母方の食文化として繋がっていくようだが、私にとっては味とお椀に盛られた姿が気に入っていることもあって、〈ブリ雑煮〉以外は考えられない。

 〈ブリ雑煮〉の特徴は、焼きアゴ(トビウオ)でとった出汁を使うことと、ブリの切り身が入っていることだろう。具には、まる餅と里芋、人参、干し椎茸、れんこん、ごぼう、かまぼこ、かつお菜を使う。大きめのお椀に盛りつけられた雑煮は豪華で色味も美しい。
 焼きアゴの出汁とかつお菜は、今ではスーパー・マーケットで簡単に手に入るようになったが、以前は手に入れるのが大変だった。新しい年を迎えることは前もって材料を揃えることでもあった。
 元日の朝〈ブリ雑煮〉を食べると、身も心も引き締まり新しい年を迎えることができる。

 地方によってお雑煮はまったく違うようだが、自慢のお雑煮がそれぞれの地域にあることは誇らしいことだと思う。面白いことに、お雑煮は地方ごとに分かれているのではなく、似たような形が離れた地方にも受け継がれている。
 長年ワークショップのために出かけていた長野県安曇野地方もそうだ。海に面していない内陸部なのにここでは〈ブリ雑煮〉が一般的だ。6〜7世紀に北九州から安曇族が渡ってきたことが原因らしい。かつては集団での移動は珍しいことではなく、江戸時代には領主の国替えもあった。集団の移動が食や暮らしに少なからず影響を与え、行事や祭りに反映することもある。食文化をはじめ、行事や祭りが各地方で共通性を持ったものが多いのも、人やものの流動が古くからあったからだろう。
 同じ長野県内でも長野市の年取り魚はサケで、松本市や安曇野地方はブリである。海や川からの流通経路と、時代によって領主が替わったことも無縁ではないようだ。
 鉄道が発達する前は、海や川からの流通経路が中心だった。北前船は人や物資だけでなく生活や文化の情報も運んでいたことはよく知られている。
 信濃川を挟んで、行事や食文化に違いが出ることも面白いが、いまだに継承されていることが不思議だ。暮らしや信仰と密接に結びついてきたからだろう。
 〈ブリ雑煮〉を食べながら、日本特有の食文化に想いを馳せる。