深まる秋に想うこと

 銀杏が地面に落ちているの見ると秋の深まりを感じる。近くの神社の参道には、いつもは足の踏み場もないくらい銀杏が落ちているのに、今年はとても少ない。
 見上げると何本かのイチョウが剪定されていて、わずかな枝葉しか残っていない。2月ごろ確かに大掛かりな剪定が行なわれていた。樹齢数十年以上と思われる巨木なだけに、枝葉がほとんど無くなるとイチョウらしくない。
 毎年この季節になると銀杏をよけながら歩く、踏みつぶされた銀杏は異臭を放ち、早くその場を離れたいと足早になる。それほどこの時期を嫌っているのだけれど、数日後にはイチョウが黄色く色づいた葉で覆われ、さらに落ち葉が地上に散り敷かれると、あの悪臭も忘れて気持が安らぐのだからおかしい。
 今年はそんな光景が見られないとなると、なんとも寂しくなるが、雑木林の小径にいつものようにどんぐりを見つけるとほっとする。
 季節が移り変わるころには見慣れた光景があり、一つひとつ確かめながらやがて訪れる冬に身も心も備える。それはともかくも平穏に過ごしてきた証であり、この先の平穏な日々への願いでもあるのだろう。
 枝葉のなくなったイチョウも来年になれば芽吹き、銀杏もまた増えるにちがいないが、銀杏が減ってしまったちょっとした変化にもなぜか心が揺れてしまう。
 いまでは心穏やかに過ごせないところがいくらでもある。平穏無事に時が流れることがどれほど素晴らしいことか、いつものように冬が訪れ、春を迎える喜びを願わずにはいられない。