「ミチクサ先生」に漱石を想う

 新聞小説「ミチクサ先生」を毎朝読むのを愉しみにしている。伊集院静による夏目漱石を題材にしているものだ。描写されている漱石の人柄もそうだが、明治期の日本の文化的土壌を正岡子規や寺田寅彦、高浜虚子らとの交流を通して感じ取ることができる。イギリス留学のころの逸話も興味が尽きない。
 当時多くの若者が海外に派遣され、それぞれの専門分野の礎を築いた。しかも分野を超えて人脈を広げている。一つの専門にこだわらない視野の広さとどん欲に学ぶ姿勢が共通するところだろう。漱石を通してあらためて分野を横断することの面白さに納得する。
 小説では、『ホトトギス』に「吾輩は猫である」が掲載された直後から大変な評判となり、いよいよ本格的に小説家として動きはじめるところだ。最初の小説本『吾輩は猫である』が大倉書店より発売された。漱石の希望で挿画は中村不折、装本は橋口五葉だった。
 「ミチクサ先生」を読みながら、欲しくて最初に手に入れた古書が『夏目漱石全集』だったことを思い出した。当時、漱石が特別に好きということではなかったが、幾つかの作品をを読んだときに、見たことのない世界をのぞき見るような興奮があった。理由は分からないが文字面から立ち現れる独特の世界に惹かれていた。
 
はじめて古書店を訪れたのは高校2年生のとき、『岩波講座 日本歴史 現代19』を購入するために出かけた。私が通った高校では、日本史の授業で教科書をほとんど使わず、近現代史を学ぶために全員購入させられたためだ。古書を購入することを教員から勧められ、文学好きの友人が連れていってくれたのが大阪梅田駅近くににある古書店だった。
 古書店は初体験だったが、独特の匂いと雰囲気に魅せられその後足しげく通うようになった。背表紙を眺め、恐る恐る手に取るだけでも愉しみだったが、使用済みの学習参考書を売って古本を買うことを覚えてしまった。
 学習参考書をまとめて持ち込み、思いきって購入したのが10巻ほどの『夏目漱石全集』だった。手元にはもうないが、普及版で安かったのだと思う。箱に入っているが表紙も本文紙もそれほどいい用紙ではなかった。
 側にあった単行書は、しゃれた表紙でとても魅力的だったが手が出る値段ではなかった。知る由もなかったが、おそらく橋口五葉の装幀だったのだろう。
 著作権が切れて、漱石本がやたらと出版された時期があるそうだから、手ごろな値段で手に入ったに違いない。その時の気持ちの高ぶりは今も忘れない。
 思い返してみると、狭い世界しか知らない高校生の私にとって、漱石が見聞したとてつもなく広がって行く世界に魅了されたのだろう。
 
古書店には共通した独特の匂いがある。図書館にも古い本は並んでいるが全く違う。古書は著者だけでなく、かつての読者や書店など未知の世界と繋がっている。何十年、百数十年ものときを想像するだけでわくわくする。
 現在まで古書と関わることが多かったのも、高校生のときの体験がきっかけになっていたかも、と思う。百年以上も前の書き込みや所蔵者のサインを愉しめるのも古書だからこそである。久しぶりに漱石を懐かしんでいる。