10−脳裏から離れない言葉、イメージ

 脳裏にこびりついて離れない記憶やイメージがある。
源義経は「ちびで醜男だった」これは、小学校5年生の時に歴史の授業の中で先生がつぶやいた言葉だ。衝撃的な言葉だった。牛若丸、義経はずっとヒーローだったのだから。
 義経は物語と合わせてさまざまな絵で描かれていて、一つではないが、どれもカッコよかった。それをすべて否定されてしまったのだから、それはショック だった。
 このような事は珍しくはないのだが、未だに消えない理由はもう一つある。いつだったかも状況も忘れてしまったが、数ヶ月後に何かの見学で義経の甲冑を見たときと重なっている。
 見たとき、「あ、小さい」と思った瞬間に先生がつぶやいた言葉が見事に定着してしまったのだ。以来、義経のイメージは狂ってしまった。義経の顔は決して具体的ではないのだが、小さくてカッコ悪い男のイメージだけが残っている。
 その後、義経であろうと言われている肖像画を見ても、脳裏に浮かぶ義経は肖像画と結びつかない。脳裏に焼き付いた義経の顔だちは、曖昧なのだが5年生の時に聞いた言葉の方が先に出てくる。言葉から連想するイメージが視覚的なイメージを凌駕してしまう。
 刺激的な言葉が、現実にあるものや出来事と強く結びついたとき起こるのだろう。
 生活の中では、視覚的イメージが支配することの方が多い。人の名前をふと思い出せないときでも、顔だちは浮かぶ。ほとんどの場合、定着した視覚的イメージは簡単には消えない。
 ところが、脳裏にこびりついた強烈な言葉は視覚像と関わりなく現れる。関連する視覚像が現れると、むしろ言葉の強度を高めさえする。
 このような状況が意図的に頻繁に繰り返されたとき、プロパガンダと結びつくのだろう。言葉の持つ影響力と、結びつくイメージについてあらためて考えさせられる。
 ヒトラーは大衆を前にした演説を演出し、ラジオやポスター、映画を活用した。まず心に突き刺さる強い言葉があり、視覚的イメージがそれを補完した。その時代の有効なメディアをいち早く取り込んでいった。繰り返されるメッセージは、共鳴し合い否応なしに人々の脳裏にこびりついていったに違いない。
 1960年代、ジョン・F・ケネディーはテレビを通して人々の心を掴んだ。いまは、SNSが人々を繋ぐ。やはり言葉が持つ影響力は大きい。
 こんなことを考えたのも、アメリカのニュースから流れる大統領選挙に関わる言葉と映像からだ。連邦議会議事堂が占拠されている光景は、目を疑うものだった。行動を起こしているのは個人であっても、言葉を支配しているのは別の力であり、個人の思考や判断を超えていく。
 ジョー・バイデン大統領が誕生した。「Alternative facts −もう一つの事実」がまかり通る現実を見つめ直す契機になるのだろうか。