先日、板橋区立美術館に出かけた。美術館に出かけるのは何か月ぶりだろう。イタリアの触る絵本がとても面白いと何人もから勧められていたからだ。むろん、人数制限のある予約制ではあるが、直接触れることができる。当初から計画されていた展覧会ではあっても、この時期に触れることが感慨深い。
18冊展示されていたが、中でも二人で楽しむ対話形式の絵本に引かれた。明確に二人と設定された絵本ははじめての体験だった。
マルチェッラ・バッソ(Marcella Basso)による『わたし、あなた、手』(IO, TU, LE, MANI)は、布を袋状に縫い合わせてつくられた本。向かい合って二人で楽しめるよう対称にページが構成されている。右(左)側にはマーとモー、友だちどうしの遊びやけんかを通した友情が短いテキストで記されている。マーとモーに重ねて体験することもできるが、指先で感じたことを自由に言葉にし、イメージを膨らませていくこともできる。
袋の中には、繋がった紐や小さな粒のようなものも収まっていて、相手の動きや素材の質感を指先から感じ取れるようになっている。思うように相手の指先に触れないことによって、本にも相手にも積極的に関わることを促す。テキストと袋の表面の装飾以外、見ることは考慮されていない。
迷路のようになったページでは、指が通るほどの数本の隙間がある。お互いに指先でたどっていっても、縫い目が邪魔をする。相手の指先を感じるのに触れることができない。気を取り直して別の道筋をたどってみる。ようやくお互いの指先が触れたとき、言い様のない感動を覚える。
そこに至る言葉のやりとりもそうだが、いまそこで起こっていること、一つ一つに感情の高まりを感じるからだろう。本を読むというよりはむしろ遊びに近い。
相手の動きと素材が、指先から身体全体に働きかけてくる。言葉がさらにイメージを膨らませる。まるで感覚が目覚めるようでもあり、そこでの時間が心地いい。二人で読み対話することも一層影響しているのだろう。言葉を交わすことで響きあい、指先に触れることで相手をはっきりと認識できるからだ。
この本は、視覚に障害のある子どもたちのためにつくられているが、子ども同士、大人と子どもなど、さまざまな組み合わせで誰もが楽しむことができる。
ミケーラ・トネッリ、アントネッラ・ヴェラッキ(Michela Tonelli, Antonella Veracchi)の『国境』(CONFINI)も刺激的な作品だ。『わたし、あなた、手』の二人で読む形式に触発されて制作したという。これも「一人で読まないこと」と規定している。
本を挟んで向き合うと、本を開いたノド、真ん中の閉じられたところが境界ということになる。お互いに指先を進め、境界を超えたところで触れ合う。
たとえば、「人を受け入れる国境もあれば、人を追い返す国境もある」という言葉に対応したページでは、ページを開くと三本の紐が渡してあり、それぞれに丸く薄いボタンのような木片が通してある。二本の紐には一ヶ所結び目があるためにそこから進めない。一本は結び目がなく二人で自在に動かして境界を行き来する。境界や現実に起こっていることに思いが及んでいく。
二つの本に共通しているのは、言葉と触れることが連動し、お互いに感じることの違いを知り、新たな気づきに繋がっていくことだろう。対話によって生まれる効果である。共感できること、共有することが未来に繋がっていくことを教えられる。二人で読む、二人で視ることを超えた新鮮な対話の形を感じることができる。