立冬を迎えると、いよいよ冬だと気持ちもあらたまる。雑木林の小径には落ち葉が少しずつ敷き詰められ、歩いているときの感触も変わってきた。空も澄み渡り冷たい風を肌で感じる。
いつも立ち寄る神社の境内には、七五三のお参りに訪れた家族の笑顔に心が温まる。衣類の入れ替えを思い立つのも立冬と聞いたからだろう。
立冬は二十四節気の一つだが、季節の変わり目に合わせた言葉は、自然とともに暮らしがあることを気づかせてくれる。月と太陽の運行のズレを補正し、季節を正しく伝えるための知恵だが、かつては農作業などに欠かせない暦だった。
作付けや収穫など実用性もそうだが、生活を楽しむためにも利用されてきた。季節を味わう食材、祝い事や祭事に合わせた食事もそうだ。祭事には、踊りや音楽、灯など視覚的にも工夫された空間が設えられる。労働と遊ぶ、楽しむがうまく結びついて、暮らしを支えていた。
こうした生活のメリハリが明日に繋がっていく、暮らしが自然とともにあり、季節の移り変わりの中に自らを見つめ直すことができる。
目にする草花、雑木が色づいていく様子、空の色、どれもが季節の変化と関係づけられている。二十四節気は季節の暦としてだけでなく、暮らしと文化を育む土壌としても機能してきた。それは人を繋ぎ関係づけることと深く関わっている。
季節の移り変わりを愉しむ、長い時を経れば風景も少しずつ変化していく、自然に親しみ対話できることは小さな幸せだ。
そんなことを思いながらの帰り道、新たに開通する幹線道路の予定地に、食い込むように残っていた家が取り壊されていた。昨年、周辺は舗装されそこだけがぽつんと残っていた。どんな思いで最後まで頑張ったのだろう、と想像してみる。家の周りは農地で、代々農業に従事してきたのだろう。
鉛筆1本の線で区切られ、家が消しゴムで消されてしまう、こんな風景の変化は寂しい。