16 − ニューヨークに想いを馳せる

アメリカ同時多発テロ事件9.11から20年になる。この時期になると、事件が起きる1ヶ月前にニューヨークにいたことを思いだす。息子と二人でニューヨークの街を心ゆくまで堪能しようという旅だった。
 帰国後1ヶ月ほど経ったころ、あの衝撃的な映像を目にすることになった。まるで映画のシーンのような光景に目を疑った。ついこの間いた場所が一変している。何か恐ろしいことがはじまった、そんな情景だった。
 翌年の12月、仕事でニューヨークを訪れたが、ケネディー空港の雰囲気は以前とはまったく違うものだった。入国審査に時間がかかり、物々しい警戒が敷かれていた。
 それでも5番街の目抜き通りはいつも通り賑わっていたし、街中は一見いつもの日常のようにも思えた。ワールド・トレード・センターのあった場所に近づく気持ちにはなれなかったが、ギャラリーに展示されていた写真と、焼け焦げたカメラや時計などの遺品が言い様のない傷の深さを示していた。
 ちょうどニューヨーク近代美術館MOMAの建て替えが始まり、MOMAクイーンズがオープンしたこともあって訪ねてみた。展示作品はどれも斬新で現実を見据えているように思えた。昨年の事件が脳裏を過るが、目の前の作品と必ずしも結びつかない。不思議な感覚で観ていたのを覚えている。
 ニューヨークは1920年代からずっと光と影が交錯する街だ。発展の大きさに合わせて影も肥大してきた。1931年に竣工したエンパイア・ステイト・ビル、上へ上へと伸びていく摩天楼はアメリカの発展の象徴だった。その高さを超えたワールド・トレード・センターの崩壊が、どれほど大きな傷を残したかは想像に難くない。

 ケネディー空港を後にするころ、今までのニューヨークに戻るのだろうか、アメリカはこの先どこに向かうのだろう、と感じていた。
 私はこのときを最後にニューヨークを訪れていない。その後入国審査が更に厳しくなり、スーツケースも鍵をかけることができなくなった。いまさらスーツケースを買い替えるのも嫌だという思いもあったが、ニューヨークに行きたい、あのエネルギーに触れたい、という気持ちがすっかり薄らいでしまったからだ。

 私にとってニューヨークは一番好きな街だった。活気があり、1週間ほど滞在するだけでエネルギーをもらえた。時間帯を問わず、あらゆる場所にエネルギーが満ちていた。
 オフィス街をさっそうと歩く姿は、女性も男性も見るからにかっこよかった。背筋が伸びていて大股で歩く早さはとてもついていけるものではなかった。
 美術館やギャラリーをめぐるのも愉しみだった。MOMAやグッゲンハイム・ミュージアム、ソーホーのギャラリーを訪れるとアートやデザインの息吹を満喫することができる。
 夜は夜で、どこへ行っても熱気があふれていた。深夜でもBlue Noteは満席で、ジャズを愉しみ杯を重ねている。トイレで用を足していると、長身のロン・カーターが入ってきた。しばらく心臓の震えが収まらなかった。
 小さなクラブに出かけたときには、高校生のころから大好きだったジャニス・ジョップリンのバックバンドを務めたグループが演奏していた。ヴォーカルは違うが、曲はジャニスのもので興奮したことを今でも覚えている。その時購入したCDは今でも宝物だ。
 はじめてニューヨークを訪れたときには、カメラを盗まれニューヨーク市警にも行った。MOMAのギャラリーショップで本を見ていたとき、一瞬の隙にバッグからカメラを抜き取られた。盗難に合った証明書を書いてもらうために出かけたのだが、不安な気持ちと詳細な説明が必要なこともあり、ニューヨーク在住の知人に付き添ってもらった。ここでの体験は今だに忘れることはない。
 ニューヨーク市警の入口から少し入ったガラス張りの小さな部屋だった。デスクに向かって座ると黒人の女性が聞き取りながらタイプライターで打ち込んでいく。20分ほどだったと思うが、部屋の前の廊下を刑事と連行されてきた人が何人も通り過ぎていく。大きな声で叫ぶ女性もいた。
 それは映画やドラマで見ていた光景そのものだった。カメラを盗まれたことを忘れるほどの貴重な体験だった。おまけに新品を購入できる保険金が戻ってきた。
 ニューヨークではこんな偶然の出来事も起こる。

 90年代の初めには、セントラルパークを横切ってウェストサイドに行くと、歩道に空のスーツケースが幾つか転がっていて、背筋が寒くなる思いをしたこともあった。それでも訪れるたびに街が変わり続けているのを感じることができた。
 ニューヨークは不思議な街で、1年で状況が変わってしまうこともある。オフィス内が禁煙になった途端、ビルの玄関前は喫煙者であふれ、吸い殻が無数に転がっていた。
 ホテルのレストランは、まずわずかなスモーキング・エリアが設けられ、翌年にはレストランだけでなくロビーからも無くなっていた。この徹底ぶりもニューヨークなのだろう。動きの止まらない街だった。

 ニューヨークはここが一つの国と思えるほど特別な空間だった。人種も文化も多様で、あらゆるものが混在し、渾沌としている。訪れるものにとっては、混濁した世界よりも表面に突出している創造性とエネルギーに魅かれるのだろう。パリにも東京にもない独特の貪欲さと自由さが魅力であり、そんな情景ばかりを思い浮かべるために懐かしく思えるのだろう。

 ここ10年ほどは影の部分が目立って伝わってくるようになった。いつの時代も、都市には光と影が交錯している。それも大都市ニューヨークの魅力なのかもしれない。もう一度ニューヨークを訪れてみたいと思うが、叶うことはないだろう。
 折りも折り、20年の時を経てアフガニスタンの首都カブールはタリバンによって制圧さた。アメリカ軍が完全に撤退し、カブールは今混乱状態にある。