41-ヨーロッパ初期の木版画に見ることばと絵

この2年ほど、グラフィック・アートと版画や印刷について話す機会が多かった。テーマからどうしてもヨーロッパが中心になる。15cから19cにかけて著しい技術的な発展があり、現在私たちが接している書物や雑誌、印刷物のほとんどがその影響を受けてきたからだ。

 Keynoteにまとめたスライドもかなりの数になった。少しずつ整理しながらテキストにしていくと、見落としていたことや新たな課題も見えてくる。可能な範囲でまとめたものの幾つかは、〈At times 折々に〉でも紹介していこうと思う。前回の「イメージの空間」に次いでの掲載になる。

 ヨーロッパ初期の木版画は、聖書に関連するものや宗教的な図像が中心で、祈りの対象として制作されたものが多い。1枚の版木に絵と文字が彫られ、色をつける場合は手彩色で施された。「セント・クリストファの図」(1423年)は、ヨーロッパに現存する古い木版画の一つで、幼いキリストを背負い危険な川を渡り、困難を乗り越えていく聖人が描かれている。これらの宗教的な図像は、聖母マリアを描いた「魔除けのマリア」のように、危険や災いから守るための特別なものとしても利用され、15世紀から16世紀にかけて、庶民の生活に溶け込み、お守りとして家の中に貼られるようになっていった。行商の呼び売り商人が持ち歩き、徐々に地方に広まっていき、その後宗教的な図像であっても、聖書から離れ寓意的な要素が強まっていった。

 「セント・クリストファの図」を見ると、物語るために、聖者を中心に周囲に様々な要素を配置して構成している。絵を見ながら一つ一つの要素を結びつけ解釈することになるが、物語の世界に導くのは、語る人のことばである。聞き手は、語り手のことばから、聖人の回りに並ぶ個別の絵を繋ぎ、そこに込められた内容や状況を理解する。ことばを音声として把握していた。文字が読めるようになるまでは、語り手がことばで物語を進める主導権を持っていたのである。絵を見ながら関係性を理解することで、徐々に見る人、聴く人が物語に参加する。木版画に描かれたことばと絵は、聴くことのための要素として位置づけられていた。文字が理解できない人のために絵を組み合わせて語ることが重要だったのである。描かれているそれぞれのものは、ことばと結びついて記憶される。やがて見るだけでも内容を理解できるようになり、ことばや文字を覚えるきっかけにもなった。

 この図からもわかるように、断片的な情報が並んでいるだけで、まだ透視図法のような連続した一つの空間を表現する技術は見られない。人間の知覚は、本来断片的な情報を頭の中でまとめ、認識しているとすれば、見たものの表し方は透視図法的な視点による風景だけではない。テーブルの上に並べるように見たものを配置することも一つの方法になる。

 いずれにしても、媒介者である語り手がいないと連続した物語は成り立たない。語り手にとっても、受容者にとっても、絵は物語を進めていくための手がかりであり、平面空間の合理性や統一性を必要としなかった。語りかける人、語り方によっても変わり、イメージの解釈も加わる。さらに受容者によるイメージの解釈が行われる。聴くことを前提にしながらも、語り手と受容者との明確な関係があり、ことばと絵の相互作用が働いていた。

 初期の木版画のもう一つの特性は、素朴な線を主体にした線刻彫と部分的な面によって表現されていることだ。視覚的に表す行為は、国や地域、時代によっても描かれ方が異なるが、中国や日本、中東でも初期の木版画は同じような技術、手法に基づいていた。現存する最古の木版画とされる「金剛般若経」(868年)もそうだ。ヨーロッパでは15世紀の活版印刷の普及によって、50年ほどの間に複製画の技術革新が進み、銅版画など緻密な表現に発展していくが、中国や日本では長い間木版画が主流だった。

 版画の表現が緻密になれば、伝える情報も詳細になっていくが、初期の木版画は限られた情報しか伝えない。受容者にとっては余白に入り込む余地があり、想像すること、イメージの解釈を楽しむことができる。その後の版画の技術的な進歩は、鑑賞者を楽しませるためにつくり出されていく側面があったが、より視覚表現に比重が移り、精緻な描写だけでなく、空間や時間の表し方、構成法など造形的な工夫がさまざまな形で展開していった。