「作品解説」『リトグラフ 石のまわりで』

−解説−

A– 額絵など

額絵

1887(明治20)年ごろから石版印刷は当時簡便で合理的な印刷方式として使われた。江戸時代以来の多色摺り浮世絵版画〈錦絵〉は、比較的複製が容易だった石版印刷が中心となり、木版印刷は徐々に衰退していった。当初、人気歌舞伎役者などを題材に〈西洋錦絵〉として売り出されたが、多色刷りが普及するにつれ、〈額絵〉として定着した。大半は、歴史画、名所絵、教育掛図、風俗画、美人画などと皇室を題材にしたものである。絵画的画像の再現に優れていたことが、後に雑誌の口絵や、ポスターの発展に繋がっていった。
展示されているのは、ほとんどが町田信次郎(後に隆要)によるもの。町田は東京美術学校(現・東京藝術大学)を中退し、1894(明治27)年頃から石版印刷の世界に入り、油絵、石版印刷を学び、額絵などを中心に、砂目石版による多くの印刷物を手がけた。額絵からポスターまで、町田の仕事そのものが日本の石版印刷が発展していく過程と重なり、印刷技術の変遷を辿ることができる。

◉川中島の大血戦−上杉・武田両将龍戦虎闘− 町田信次郎(まちだしんじろう1871−1955)
校正刷のため、タイトル文字は仮の位置になっている。
多色石版(校正刷)1902(明治35)年頃
39.5×55.5cm

◉邨上義光 町田信次郎
多色石版(校正刷)1902(明治35)年頃
47.2×63.5cm

◉天慶の乱 町田信次郎
多色石版(校正刷)1903(明治36)年
47.5×64.0cm

◉三井の祖先−教育立身画之四 小林習古(こばやししゅうこ)
多色石版1902(明治35)年
46.5×54.5cm

◉増上寺之景 町田信次郎
砂目石版2色刷1906(明治39)年
39.0×56.0cm

◉丸の内行幸之図 町田信次郎
砂目石版1色刷1894−1906(明治27−39)年
56.0×41.0cm

◉大清国美人風俗 作者不詳
初期の多色版は、1色刷りに絵具で手彩色を施したものが中心だった。この作品は、石版刷を基に合羽刷という手法で、紙型を切り抜きその上から刷毛で色絵の具を摺り込んだもの。工程の短縮を図ったものだが、人物に対して服装や背景が平坦なものになっている。
砂目石版+合羽刷1900(明治33)年頃
55.3×49.5cm

◉青雲堂の女(校正刷) 町田信次郎
多色石版になる前の試し刷り、上部は簡単にアタリ線が描かれている。トンボが画面の内側に入っているのは、内トンボと呼ばれ色版を重ねていくためのもの。本刷では取り除かれる。
砂目石版1色刷1902(明治35)年頃
55.0×39.8cm

◉蛍狩の女(校正刷) 町田信次郎
多色石版になる前の試し刷り。
砂目石版1色刷1906(明治39)年頃
55.8×40.4cm

◉花嫁之姿(校正刷) 作者不詳
ポスターになる前の校正刷。左下に余白があり、ここに〈呉服店〉などの文字が入るが、確定しないまま制作されているものもあった。初期の多色石版で22色を刷り重ねている。
多色石版1907−11(明治40−44)年
88.0×58.0cm

◉春の行楽(校正刷) 町田信次郎
ポスターになる前の校正刷。石版の原版から亜鉛版に転写される。
多色石版オフセット刷1924−25(大正13−14)年
93.0×62.0cm

平台

◉皇室画
明治20年代以降、皇室一家の石版画は盛んに作られ、新聞付録としても欠かせないものになっていた。明治30年代までは、展示されている『皇室御一統御尊影』のように天皇一家を表した額絵も珍しくなかった。前田愛によれば、家族国家のシンボルとして親しみをもって受け入れられていたが、徐々に天皇の神格化が進み天皇と皇后の肖像画になっていった。

◉大日本帝室御団欒之図(校正刷) 町田信次郎
初期校正刷で、左側面に町田のクレヨンのタッチや線の太さを確認する痕跡が見られる。
砂目石版1色刷1901(明治34)年
54.4×39.8cm

◉皇室御一統御尊影 ①(校正刷) 町田信次郎
スミ1色の校正刷は、色の指定を書き込んだもので、一部着彩で具体的に色あいを示している。
砂目石版1色刷1901(明治34)年
46.6×55.1cm

◉皇室御一統御尊影 ② 町田信次郎
多色石版1901(明治34)年
47.8×63.8cm

B–ポスター

◉三越呉服店 波々伯部金洲(ははかべきんしゅう1862−1930)
波々伯部金洲は、三間印刷の石版画工として三越呉服店初期のポスターを多く手がけた。三越は1904(明治37)年12月に三井呉服店を株式会社三越呉服店と名称を改め、欧米式デパートを目ざして新発足した。
流行の衣服や日用品を集め、食事もできる百貨店は話題性を重視し、当初から宣伝広告に力を注いだ。
最初のポスターを担当したのが波々伯部金洲で、〈美人画ポスター〉の先駆けとなった。元禄風の着物や髪型は、流行を演出したもので、大判のポスターは額縁に入れ室内に飾られるために、絵画としての鑑賞要素も強かった。
多色石版20色刷 1905(明治38)年
93.5×63.2cm

◉三越呉服店 山田秋畝(やまだしゅうほ1887−没年不詳)
1910(明治44)年、三越呉服店はポスターの原画を公募すると発表。翌1911(明治45)年に第1回広告画図案懸賞募集を行った。洋画家橋口五葉が1等を受賞し、日本画家山田秋畝は2等だった。それぞれ春用、秋用としてポスターに採用された。画工が手掛けることが多かったポスターは、原画は著名な画家が描き、石版への描画は画工が担うようになっていった。その後原画の懸賞募集が盛んになり、日本画家や洋画家がこぞって応募し分業が一層進んでいった。ここから図案家の道を歩む作家も増えていった。
多色石版 1911(明治44)年
108.7×76.4cm

◉蜂印香竄葡萄酒 町田隆要(まちだりゅうよう1871−1955)
町田隆要は、石版画工から転じた数少ないポスター作家の一人だった。砂目石版の表現効果を熟知した経験と実績から生まれたポスターであり、随所に細かな工夫が見られる。髪の毛や目は細い線や点描で補正し、ラベルの部分は銅版彫刻刷りしたものを石版に転写。また中心になる女性と背景の描写を描き分け、奥行きを表現している。初期の絵画的ポスターではあるが、絵画から石版の特性、印刷効果まで自ら把握することによって独特の表現をつくり出した。
石版多色刷りは当時クロモ石版と呼ばれ、最高級の印刷技術とされた。今日の写真製版と異なり、原画を十分把握して、その色の構成を考え、各色の版を石版の上に描き分けた。この作品は、14色の版を刷り重ねている。校正刷りのため、下部に14色のインキ見本を見ることができる。
多色石版一部点描石版、ラベルは銅版転写14色刷(校正刷)[1913(大正2)]年
91.0×61.0cm

◉三越呉服店 杉浦非水(すぎうらひすい1876−1965)
東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画選科卒業。友人だった黒田清輝(くろだきよてる)を通してアールヌーボーを知り、日本画の表現技法を基礎に、その様式を図案に積極的に取り入れた。画家の片手間であった図案を専業にし、当初から商業美術家としてポスターやカット図案など巾広く手がけ、商業美術をジャンルとして確立させた。西欧の表現様式を積極的に取り入れ、日本風にアレンジしたアールヌーボー様式を取り入れた特有の図案は非水様式とまで呼ばれた。
このポスターは、三越呉服店の美人画を踏襲しながらも、着物の図柄や花、家具などがより平面的で装飾的に表された初期の代表的な作品。
多色石版1914(大正3)年
105.0×77.0cm

◉大阪商船会社 町田隆要(まちだりゅうよう1871−1955)
町田隆要の代表作の一つ。この時優勝した横綱太刀山をモデルに原画が描かれ、当時市田オフセットの工場長だった大沢保正が製版に協力し、多くの時間を費やして作られた。このポスターは、海外向けと国内用が作られたが、海外向けを主眼に制作され、新しいデザイン感覚が示され当時話題になった。
日本の石版オフセット刷りは、1914年に始まるが、当初大型のものは平台石版印刷機にゴム胴を取り付けるなど、改造を施したものだった。市田オフセットは、1915年に四六全判のオフセット印刷機をアメリカから購入、本格的なオフセット印刷が始まった。このポスターは、石版の原版から亜鉛版に転写したもの。
多色石版オフセット刷 1916(大正5)年
96.0×62.0cm

◉いとう呉服店上野松坂屋 町田隆要(まちだりゅうよう1871−1955)
町田隆要は金属平版やオフセット、写真製版の実用化に合わせて表現方法を模索し、大胆な構成まで高めていった。この作品は台麓図案会第5回展で大賞を受賞したポスター。当時広告効果の高い図案構成として好評だった。
印刷はMP式写真製版法によるオフセット印刷。三間印刷が開発した写真製版技術で、コロジオン乳剤を塗布したすりガラスの上に色分解したポジを色ごとに作り、レタッチを加えチャイナ紙で亜鉛版に転写し刷版にした。レタッチに頼るところが大きく、転写による写真製版であるために奥行きのない浅い階調になったが、淡い印刷効果が特徴になっている。
MP式写真製版オフセット11色刷1922(大正11)年

◉Le Fiancé de Thylda ルネ・ペアン(René Péan 1875–1940)
ペアンは、パリの美術学校でリトグラフを学んだ後、20歳のときに石版画工としてシェレがディレクターを務めるシェイ工房に弟子入りし、1905年までの10年間ポスターの制作に従事した。そこでイラストレーション、リトグラフを研究し1920年代以降はポスターから離れ、油彩、水彩、パステル画やリトグラフに取り組み、雑誌や広告の世界で活躍した。
このポスターは、シェイ工房にいた頃制作されたオペレッタ『サイルダの婚約者』のためのもの。画面の構成や色彩にシェレの影響が感じられる。
多色石版1900年
83.8×59.4cm

◉2e Exposition des Peintres Lithographes フェルナンド・ゴットロブ(Fernand-Louis Gottlob 1873–1935)
ゴットロブは、パリを拠点に石版画家、画家、イラストレーター、グラフィック・デザイナーとして、幅広く活躍。雑誌の似顔絵、肖像画、風景画、ポスターと多彩な作品を制作した。
このポスターは、パリのギャラリーで開催されるリトグラフ作品展のために制作された。作品を鑑賞する女性は、逆光のシルエット状に描かれ、光と影を巧みに演出している。画面全体を占める黒いドレスの女性の配置、文字の使い方などに、ロートレックの“Divan Japonais”(1892)を彷彿させる。
多色石版1898年
119.2×79.5cm

◉La Chauve-Souris  ジョルジュ・ドラ(Georges Dola 1872–1950)
ドラはパリに自らの工房を持ち、画家、グラフィック・デザイナーとして活躍した。1900年代前半は演劇ポスターを多数制作、その後映画ポスターを手がけるなど、音楽や演劇、映画との関わりが深い。
この作品は、ヨハン・シュトラウスのオペレッタ『こうもり』のための劇場ポスター。会場はパリのThéâtre des Variétés(バラエティ・シアター)で、シャンパングラスを手に正装した観客の様子が描かれている。演目や出演者ではなく、観客の華やいだ雰囲気をクローズアップでとらえている。刷る色数は少ないが、赤と黒を有効に使い、画面に鮮やかさを出している。
多色石版1904年
81.2×60.0cm

◉ELDORADO ジュール・シェレ(Jules Cherét 1836−1932)
シェレは、1866年いち早くパリに印刷工房を開設、大判印刷を可能にするイギリス製の石版印刷機を備え制作を開始した。1881年に工房をChaixに譲渡、その後はシェイ工房のアートディレクターとして、後進の指導をしながら制作活動を行った。
シェレは石版工房や装飾美術学校での修業を通して、石版印刷技術に精通し、版材の特性やインキの特性を熟知していた。直接石版に描画しながらデザインを考えていったことで、複製絵画的なポスターの世界を変えた。このポスターは、エルドラド・ミュージック・ホールのために制作、軽妙なスケッチがタンバリンを持った女性の躍動する姿をとらえ、画面に動きを与えた。
多色石版 1894年
56.0×37.5cm

◉Saxoléine ジュール・シェレ(Jules Cherét 1836−1932)
石版独特の砂目や透明な色彩感による表現を試み、新しい手法とスタイルをつくり出した。色数は少なく、石への描画も素描を生かしたものになっている。特徴的なのは、色の3原色の原理を利用して、ほとんどのポスターを黄、赤、青(うすい青と濃い青の2種類を用いることが多くときには黒も用いる)3種類のインキで印刷した。色の重なりで色彩の豊かさを表現しようとした。
灯油〈サクソレーヌ〉のためのポスターは、15年あまり続いたシリーズで、信頼性の高いランプの灯油をアピールした。ランプを持つ女性を共通のモチーフとして一貫性を持たせている。それぞれデザインや色の異なるドレスとランプに特徴を持たせ、女性の身のこなしやアングルに工夫を凝らしている。
多色石版 1896年
122.5×88.0cm

◉PIPPERMINT ジュール・シェレ(Jules Cherét 1836−1932)
リキュール〈ピパルミント〉のためのポスター。灯油〈サクソレーヌ〉シリーズのポスターで、シェレはランプの光を効果的に使い表現した。光と影を生かした構成はシェレの特徴ともいえるが、〈サクソレーヌ〉では、ランプの光が女性全体を包み込んでいる。それに対して〈ピパルミント〉では、下からの光による影を強調して女性を表している。リキュールを飲む薄明かりの場所を背景にしたのだろう。濃い赤と淡いオレンジ色に砂目石版の特性が見られる。

−本−

◉Country Idylls マイルス・ビルケット・フォスター(Myles Birket Foster1825−99)
フォスターは、田園風景を題材に、1858年までは書物のための木版やエッチング作品を多く残した。1858年以降は絵画に専念、水彩、油彩で農村の風景と人々の暮らしを描いた。これらの絵画は多色石版で再現され、ロンドン、パリ、ニューヨークで出版されたが、この本もその一つ。原画を多色石版で精巧に再現している。
多色石版1881年頃
26.0×20.0cm

◉Shakespeare’s songs and sonnet ジョン・ギルバート(John Gilbert1817−97)
ギルバートは、シェイクスピア全集のために数多くの挿絵を描いた。この本は1862年にロンドンで出版されたShakespeare’s songs and sonnetを元に多色石版で再現したもので、フィラデルフィアで出版された。10数色で印刷される本は、誰もが手の届くものではなく、デザインも装幀も贅沢なものだった。
多色石版1888年頃
24.0×21.0cm

◉Es war Einmal; eine Auswahl der ジョ・ソーソン(Joh Sawson)
オリジナルは、ジョン・ローソン(John Lawson 1865−1909 )のThere was once (1888年頃)で、グリム童話とアンデルセン童話から「シンデレラ」「赤ずきん」「ジャックと豆の木」など9話で構成されている。それぞれにローソンの挿絵が入っている。この本は、ドイツ語版でミュンヘンで出版されているが、いずれにも〈JL〉のサインがあり、ロンドンで出版された図版と同じものである。作家名はJohnがJoh.に LawsonがSawsonになっている。ほぼ同時期に出版され、写真版ではなく多色石版印刷であることから、精巧なコピー版の可能性もあるが、経緯は不明。
多色石版1888年頃
24.0×19.0cm

◉A Great Pet リジー・ローソン(Lizzie Lawson Mack1859−1905)
児童書のための子どもの絵を得意とした。この本でも子どもを中心にペットが描かれている。出版は仕掛け絵本で有名なErnest Nisterで、仕掛け絵本の絵も数多く手がけた。
多色石版1890年頃
16.0×13.0cm

◉Flora’s Feast (フローラの祝宴)ウォルター・クレイン(Walter Crane)
クレインは多色木口木版による〈トイブック〉シリーズで知られている。しっかりした輪郭線や強く鮮やかな色彩が特徴だが、この本は色の数も限定され、輪郭線も曲線的で柔らかく色彩も全体に透明感のある淡い調子で仕上げられている。水彩画の特性がそのまま印刷され再現されているが、これは石版印刷による効果がもたらしたものである。印刷版式によって表現は変わる。背景をほとんど描かず、人物は白い背景に浮かび上がる。ページを一つの大きな空間としてとらえた新しい画面の構成も試みた。
多色石版1889年
26.0×20.0cm

◉The tale of Tsar Saltan(サルタン王物語)イワン・ビリービン(Иван Яковлевич Билибин1876¬−1942)
ロシアの首都、サンクトペテルブルクで生まれたビリービンは、1900年頃から本格的に画家の道を歩み始める。英雄叙事詩やロシア民話に関する絵本を数多く残したが、中でも1900年代に出版された大型の石版絵本は、独特の表現世界をつくり出した。装飾的な文字と縁飾りに特徴があり、アールヌーボーや日本の浮世絵の影響が見られる。『サルタン王物語』の海の場面は、北斎の「富嶽三十六景」を模している。原画は水彩画で12色の石版刷で再現している。
多色石版1905年
25.4×32.7cm

◉The Country Noisy Book(なつのいなかのおとのほん)マーガレット・ワイズ・ブラウン(Margaret Wise Brown1910–1952)作、レナード・ワイズガード(Leonard Weisgard1916−2000)絵
マーガレット・ワイズ・ブラウンの「Noisy Book」シリーズは、1939年のThe Noisy Bookに始まり7冊出版され、イラストレーションはいずれもレナード・ワイズガードが担当した。グラフィック・デザィナーでもあるワイズガードは、すでに広告の領域で見られたイラストレーションの手法や平面の大胆な構成に特徴がある。『なつのいなかのおとのほん』でも、テキストで音を語りかけ、タイポグラフィで視覚から読み手に音を感じさせる。さらに、イラストレーションで、空間の気配や小さな音やノイズを感じさせる。描き版が効果を一層引き出す。
描き版3色オフセット刷1940年
26.0×20.0cm

◉A Child’s Good Night Book(おやすみなさいのほん)ジャン・シャロー(Jean Charlot1898−1979)
フランスで生まれ、メキシコとアメリカで活躍、版画家、絵本作家として知られている。メキシコでは滞在中画家、版画家として活動し、石版画を通して印刷技術を熟知していた。絵本はアメリカで出版するが、原画からの写真製版を嫌い、4色分解を使わず直接アセテートフィルムに描画し、フィルムを直接版に焼き付けた。石版画の効果を引き出すためであるが、版画家としての経験がクレヨンのタッチや色の重ね方に生かされている。
描き版4色オフセット刷 1943年
23.0×19.0cm