『アンリくん、パリへ行く』

ソール・バス絵 レオノール・クライン文 松浦弥太郎訳 Pヴァイン・ブックス 2012年9月

今井良朗

『アンリくん、パリへ行く』(Henri’s Walk to Paris 、1962)は、ソール・バス(Saul Bass、1920-96)が手がけ市販された唯一の絵本であり、幻の絵本として語られてきたが、いまみても斬新な絵本であることは変わらない。
バスは第2次大戦後アメリカを代表するグラフィック・デザイナーであり、映画「黄金の腕」やヒッチコックの「めまい」のタイトルバックのアニメーションでその名を知られている。
この絵本はパリにあこがれるアンリくんの物語である。表紙には「Henri’s Walk 」と「to Paris」のタイトル文字を靴を履いた足に見立て、中央下部に配置しているが、本を開くと見返しの右側に移動し、さらに遊び紙が一枚入り「Henri’s Walk 」の一部が残る。タイトルページに至るまでに画面は動き始める。映画のタイトルバックは、2時間ほどの映画を2分ほどにまとめるが、バスは限られた画面で展開する絵本にその効果を生かしている。この絵本はアニメーションの効果を巧みに取り込み、ページをめくる手を媒介にストーリーを連続させる手法を作り出している。
細部を見ていくと、同じ形が繰り返し使われる。「パリにはね、ものすごくたくさんバスが走っているんだよ!」「パリにはね、きれいな教会がたくさんあるんだよ」「パリには、大きな動物園があって、おおぜいのひとたちが見にくるんだよ」、仲良しの3人の友だちに聞かせる画面が続く。しかし、バスも教会も人も数種類のバリエーションはあっても、スタンプするように同じ形が画面を埋めている。ここでの「たくさん」は、大都市パリの全体像であり、おおぜいの人たちや建物も想像の世界として明確な個性を示さない。それに対して、アンリくんの住むルブールに1台しか走っていないバスには装飾があり、ルブールの住人は、顔は描かれていないが白い帽子をかぶったパン屋のマンジェおじさん、郵便屋さんなど帽子やことばでその人の特徴を表している。
この対比は、パリのイメージを膨らませるアンリくんの想像の世界と身近な日常を象徴的に際立たせる。コピーと繰り返しによるパリは、実体ではない再生産されるイメージの都市として見ることもできる。60年代のアーティストやデザイナーが都市に向けた眼差しでもある。
しかし何よりも印象的なのは、最後までアンリくんの顔が出てこないことだ。描かれているのは本や木の陰からのぞくアンリくんの手と足だけである。バスが一方的にメッセージを送るのではなく、読者を創造的行動へと導く。そのために細部の描写を取り除きアンリくんの顔も隠してしまう。必ずしも絵で細部を語り尽くす必要がないと考えるからで、本質的な要素を形に還元し読者の創造力を膨らませる。アンリくんの感情や表情の変化も読者の想像に委ねるのである。
バスは、1970年東京世界デザイン会議の講演で映画のトーキー以前と以後を比較し、映画がより文学的関心に向かったことを挙げ、内在するイメージよりも見える形に囚われ過ぎ、視覚像に対する意識が低下したと述べている。造形的な視覚言語によるコミュニケーションの可能性は、20世紀に入って抽象やコラージュの概念として探究される。比喩や象徴性を際立たせ、意味と時間をつなぎ対話をつくり出すグラフィック・デザインが培ってきた手法でもあるが、バスは視覚言語の新たな可能性を音と動きのない絵本で挑んだ。
絵本をメディアとしてとらえることは、媒介作用や対話性を考えることであり、いまのデザインが向かっている方向でもある。「デザイン的な絵本」、と形や色に注目するだけでなく、意図的に隠されたイメージとことばを愉しんでほしい。視覚言語あるいは絵本自体を言語としてとらえると、50年を経てこの絵本が出版される意義も見えてくる。
レオ・レオーニ(Leo Lioni、1910-99)の最初の絵本『あおくんときいろちゃん』(Little Blue and Little Yellow、1962)が孫のために作られ、この絵本もバスの娘のために作られた。同じ時代に子どもと真剣に向き合ってヴィジュアル・コミュニケーションを試行したことも偶然ではないだろう。(いまいよしろう 武蔵野美術大学教授)