描くことへの情熱がつくり出した独創的な画面構成 ワンダ・ガアグ−時間の経過を空間に取りこむ−

今井良朗

『100 まんびきのねこ』ワンダ・ガアグ作・絵(Millions of Cats,1928
石井桃子訳、福音館書店、一九六一年

ガアグの作品は、独特の空間表現と黒一色によるコントラストが際立つ。『100 まんびきのねこ』では、横長の見開き画面いっぱいに広がる構図が特徴的で、時間の経過を空間に取りこみ物語を構造的に展開した。ガアグが美術学校やニューヨークで過ごした時期は、第一次大戦と終結前後のロシア革命など、世界情勢が大きく変動する時代と重なる。芸術の分野でもキュビスム、表現主義、構成主義などの影響を受け、さまざまな実験が行われた。ガアグもまた、前衛芸術や多くの仲間との接触のなかで芸術に対する情熱と思考を高揚させ、ペン画やリトグラフによる表現で新しい境地を開こうとしていた。絵本による独創的な画面構成もその延長上にあった。

作品の特徴と背景

ガアグは十四歳のときに美術家だった父親を亡くし、病弱の母親と六人の妹、弟一人の家族の暮らしは決して楽なものではなかった。二人の妹が高校を卒業し職に就くまでは、小学校の教員やグラフィック・デザイン、雑誌の絵を描くなど必死で一家の生活を支えた。一九十三年、二十歳のとき奨学生としてセントポール美術学校に、翌年から一九十七年までミネアポリス美術学校で美術を学んだ。一九十七年、ニューヨークの名門アート・スチューデント・リーグの奨学金を獲得し、ニューヨークで暮らすことになるが、ミネアポリスとニューヨークでの多くの仲間や支援者との親交が、独自の造形観を醸成するための貴重な時間となった。
一九二六年、ニューヨーク・ワイエギャラリーの個展で、若手グラフィック・アーティストの最も注目すべき一人として取りあげられたが、一九二三年、最初の個展前後に制作されたガアグの版画には、すでに時間と空間に対する独自の表現手法を見出すことができる。ガアグの学生時代に培われたものであるが、ガアグ自身が振り返るように、ミネアポリスでは、大学の授業よりもジョン・ラスキン・クラブでの仲間との議論がガアグを社会や政治の問題、そして前衛的な芸術運動に眼を向けるきっかけになっている。
クラブでは、抽象芸術、芸術家の社会的責任、宗教、女性の社会的位置、政治などについて、連日熱く語られた。
この時期は第一次世界大戦の最中であり、戦場にならなかったアメリカは、都市部の発展とともに生活や文化の面で新しい様式が生まれる。大戦後は夢と希望に満ちた時代であると同時に、社会制度や労働意識、差別など反動的な側面も現れ、光と影が交錯する不安な時代でもあった。ガアグにとって、移民としての両親の苦労や自らも負った困窮の体験も重なり、労働者階級や社会的正義への関心が高まっていったことも不思議ではない。
ニューヨーク滞在中は、前衛活動家との交流がさらに深まり、自らも積極的に関わっている。そのような活動の一端は、アメリカの共産主義定期刊行誌New Masses (新大衆)に掲載されたイラストレーションに見ることができる。New Massesは、一九二六年に第一号が刊行され一九四八年まで続いたが、ミネアポリス美術学校在学時からの親友、アドルフ・デーン(Adolph Dehn)とともに第一号からイラストレーションを掲載した。他にもスチュアート・デイヴィス(Stuart Davis)らが参加し、New Massesは、若手の小説や詩、諷刺画、前衛的な絵画の受け皿にもなっていた。一九二七年、第二巻第五号でガアグは表紙を飾り、見開き上部にパノラマ状に展開するイラストレーションも試みている。一九二六年に掲載された同様の手法によるFARM SALE ( Vol.1–No.5)とともに、パノラマ状に時間が展開する『100 まんびきのねこ』の原型になっている表現である。
New Massesに掲載されているメッセージ性の強い政治的な諷刺画などと比べると、ガアグのイラストレーションは、社会や人々に向けられる洞察の眼差しが根底にあるものの、直截的な政治性はあまり感じない。むしろTHE TIRED BEDやSATURDAY NIGHT( Vol.1–No.1)からは、光と影が微妙に交錯し、背後に社会や自身に向けられるさまざまな想いが重なった強いガアグの意思が垣間見える。直截的な社会批判よりも身近なところで起こっていること、感じることをさまざまな側面から視覚化したものであり、そこには弱者への視点や人々が懸命に生きることへの愛情すら感じる。ガアグが見つめていた対象や表現しようとすることは、New Massesの他の作家たちと必ずしも同じではなかった。『100 まんびきのねこ』や『すにっぴいとすなっぴい』が、商業的な仕事を離れて自由な意思で描き、すでに温められていたこともうなずける。
個展の作品を観たカワード・マッキャン社の編集者、アーニスタイン・エヴァンズは、ガアグのそのような一面に魅かれたのだろう。ガアグに子どものための絵を描くことを勧めた。エヴァンズとの出会いによって、『100 まんびきのねこ』を世に出すことになるが、それはガアグが追い求めていた表現の世界でもあった。

『100 まんびきのねこ』の絵を読む

最初の見開き画面は、「うちに、ねこが 一ぴき いたらねえ」というおばあさんのことばと、「それでは おまえ、わたしが、ねこを 一ぴき とってきて やろうよ」という、おじいさんのことばではじまる。(図一)
横長の見開き画面左右いっぱいに広がる不思議な構図である。おじいさんが猫を探していくつもの丘を越えていく場面で、まるでパノラマを見るような空間として描かれている。いまでは横長の絵本はめずらしくないが、左右の空間の徹底した活用と動的な画面展開は、ガアグによってはじめて試みられた。横長の判型を提案したのはエヴァンズだが、パノラマ状に展開する画面構成の手法は、New Massesですでに試みていた。
ここで注目したいのは、横長の画面を生かした表現手法と黒一色の独創的な空間の捉え方、それと描かれている世界観である。ラスキン・クラブやNew Massesは、二十世紀初頭ヨーロッパで興った新しい視覚芸術の思想や実験的な作品に触れる絶好の場にもなっていた。写真や映画の登場、心理学の発達が時間の概念を変え、空間と時間が一体的なものとして認識されるようになっていた。二十代のガアグは、造形思想と表現手法を仲間との議論の中で長い時間をかけて探究していたのである。
子どものための絵本であっても、人々の暮らしや自身に向ける眼差しは変わらない。民話の手法とことばのリズムで展開するこの物語は、ときを超えた田園風景であり穏やかで幸せな日常で終わる。しかし、そこには人間の業や生と死、幸福と不幸など社会の影も潜ませてある。出版にあたり、黒一色のペン画を主張したのもその現われだろう。この絵本はガアグが見つめてきた世界の複合であり、画面の構成にも反映している。
見開きの画面に広がる情景は固定した一つの視点ではない。丘や木、家、おじいさんの姿、それぞれの大きさが現実の大きさと対応していないことに気がつく。いくつもの丘のつらなりや、長い道のりである広大な風景を描くために、ガアグはさまざまな視点から見た情景をバラバラに分解し、あらためて一つの空間に構成し直している。
いくつもの丘とそれにつながる道は、広角レンズでとらえたような画角で広い範囲を描き、おじいさんとおばあさんが住んでいる家やおじいさんの姿は、全体の背景に対して明らかに大きく描かれている。視点の高さや方向も同じではない。丘一面が猫でいっぱいになる場面、たくさんの猫を連れて帰る道のりの起伏や池の表現も同様である。おじいさんの大きさと丘や道は、通常の比率と一致しないが、それを不自然と感じる人はいないだろう。
この空間は、読み手からはいつも全体を見渡せるような情景としてある。その点では、客観的に見るための視点なのだが、雲と丘の間に余白を入れ、湾曲状に画面を構成するなど、上下左右から空間を包み込むような表現は、読み手をも包み込むような印象を与える。全景をとらえた客観的な描写でありながら、読み手は自然にこの絵本の空間に取り込まれてしまう。この独特の遠近法は、それまでのヨーロッパの絵本には見られなかったものだ。近代の合理的な視覚に基づいた透視図法とはまったく異なるものである。生理学的視覚からなる遠近法や物理的な見え方を描くのではなく、時間の流れの中で空間をとらえ、自身の中で再構成された世界を描いている。
この絵本は複合された空間と時間の視覚化である。物語の展開には時間の経過が含まれ、おのずとページを繰ることや本全体の構成が意識される。ガアグは、それぞれのページで、絵と手書きによるテキストとの一体感や顔の向け方、フレームの形状の使い分けを行っている。読み手の視線の動き、読まれ方も意識されている。

社会への眼差しと原風景がつくるイメージ

ガアグにとって最初の出版作品となった絵本だが、社会と暮らしを見つめながら深められた描くことへの情熱は、絵本のなかに実を結んだ。社会や児童書が置かれていた環境に不満がなかった訳ではないが、都市とその暮らしを対象に描くことに心の疲弊もあった。高層建築、自動車といった新しい都市の風景や事物は、視覚表現の新鮮なテーマではあったが、ガアグは子ども時代を過ごしたミネソタ川とヨーロッパの趣を残す建物や丘を見渡す風景を好んだ。イメージや感情には、子どものころや多感な青春時代の記憶が編み込まれている。
造形面では前衛的な作風を残しながら、牧歌的な原風景に回帰していった。物語を自ら書きたいという強い欲求も絵本に適していた。ページを繰ることによって生じる時間の流れや視点の移動は、本全体を動的な空間として捉える。映像的に時間が流れていくように物語が展開する表現方法は、その後の絵本に大きな影響を与えた。

作家紹介
(Wanda Gág 一八九三−一九四六年) ボヘミア(現チェコ)からミネソタ州ニュー・ウルムに移住した両親の長女として生まれた。十四歳のときに父親が他界し、奨学金とミネアポリスの出版社や知人などの援助を受け美術を学んだ。一九二三年の個展で注目され、一九二六年の個展で評価が定まっていくが、多忙な日々が本来描きたかったことを振り返り、結果的に『100 まんびきのねこ』の出版に繋がった。ガアグ最初の絵本は新聞の書評欄でも絶賛され、ジョン・ニューベリー賞を受賞している。一九二十年代以降は、コネチカットやニュージャージーとニューヨークを行き来し、絵本制作も増えた。代表作にThe ABC Bunny,1933、Nothing At All,1942など。

参考文献
Gág, Wanda. Growing Pains: Diaries and Drawings for the Years 1908-1917, Coward McCann, 1940.
(『ワンダ・ガアグ 若き日の痛みと輝き』阿部公子訳、こぐま社、一九九七年)
New Masses Vol.1-No.1〜6, 1926, Vol.2-No.1〜6,1927, New Masses,Inc.

注・引用文献
『100 まんびきのねこ』、ワンダ・ガアグ作・絵、石井桃子訳、福音館書店、一九六一年。
キャプション:図1 2ページ目の最初の見開き画面

『100 まんびきのねこ』ガアグ