チェコ・映画ポスターの表象

今井良朗

チェコ・映画ポスターの固有性

チェコの映画ポスターを語るとき、1960年代を中心にしたチェコスロバキア時代の作品が中心になる。それほどこの時期の映画ポスターは特色があり固有な表現性が際立っている。それは時が経つほど歴史性を帯びるが、あらためて見ていくとグローバル・イメージと固有性について考えさせられる。
というのも、チェコの映画ポスターはグローバルなイメージとしてひろがり、現在制作されるポスターにしても、一定の固有性を継承しつつ相互に影響し合いながらグローバルな環境の中で存在している。60年代のポスターも現在のポスターもインターネットの世界では共通の場に置かれ、時代を超えて観賞される。都市の風景が一様になり情報空間はひろがったが、だからといって、イメージに内在する記憶や歴史が消えていくわけではない。ここに見るポスターは、その時代の映画やアニメーションの表現と無関係ではないし、映画の単なる客観的な描写でも説明でもなく、それ自体がすでにさまざまな意味を含んでいる。描く行為は、政治、文化と密接に結びつき、その時代の世界観、人間性などを反映した社会と自らに向けられる眼差しでもある。
さらに映画を楽しむ大衆との関係があり、ポスターはどのように大衆に受け入れられ、どう作用していたのか、興味深い問題を含んでいる。チェコ国際映画祭やブルノ国際グラフィック・デザイン・ビエンナーレを通して世界の表現思潮に直接触れながらも、60年代のチェコの映画ポスターは時代が作り出した様式であり、その後も継承と変容を重ね固有のものとして生き続けているからである。
チェコは映画とアニメーション制作で知られているが、その歴史は古く1930年代には中欧の中心的役割を担い芸術性の高い作品が数多く制作された。民衆の生活の中に定着した映画は、同時に映画ポスターに対する関心を高め、大衆芸術としても人気がある。こうした国情がポスターの環境を育て、世界の中でも独自の地位を築いてきたといえるだろう。
第2次大戦以前のチェコのポスターを見ると、表現主義や構成主義による実験的なポスターが見られ、1930年代にはアール・デコ様式などが主流を占め、全体的には、広告ポスターをはじめ当時のヨーロッパの潮流とほぼ同様の表現傾向が見られる。しかし、1938年のナチス・ドイツの侵攻、第2次大戦後1948年、社会主義国としてソ連の影響下に入っていくのを境にポスター事情は大きく転換する。ポスターはいやおうなしに国家の統制下に置かれ、厳しい検閲の下での制作を余儀なくされた。
それでも1959年以降、制作の環境は比較的自由だった。国の文化政策が社会主義的統制よりも創造性豊かな表現を容認したからである。社会主義リアリズムは必ずしも定着しなかった。表現の強制も事実上無意味なものとなり、スターリンの死を契機にほとんど姿を消し、映画ポスターを中心に独自の表現性が登場する。背景には、1960年代チェコスロバキア映画の黄金時代を支えた若い映画制作者の国際的な活躍も大きい。プラハ・アカデミー・オブ・パフォーミングアーツの映画学科(FAMU)を卒業した世代である。そして国家が映画ポスターを管理する体制が、結果的には安定した制作と発行を保障することになり、国際的な評価も作家を保護し支援する形につながった。
プラハは伝統的に音楽の都として知られるが、1948 年から続くチェコ国際映画祭をはじめ、チェコは文化的土壌の豊かな国である。このような文化的な背景が音楽や映画の別の側面からの表象であるポスターの環境を育てた。映画ポスターを含めて、演劇、音楽などの文化ポスターは、絵画や版画などと同様、国民の日常に根ざしたアートであり、購入の対象になり、室内に飾られ観賞の対象にもなった。宣伝機能を全く必要としないわけではないが、それ以上の機能、一枚の芸術作品として機能してきたのである。
ブルノ国際グラフィックデザイン・ビエンナーレは、2012 年に25 回目を迎えた。1964 年にスタートしたこのビエンナーレは、ポーランドのワルシャワ国際ポスター・ビエンナーレと並んで権威ある公募展として世界的にも知られている。日本からの応募も多く1982 年に青葉益輝がポスターでグランプリを受賞するなど、その後も数多くの受賞者を出している。これまで、政情の混乱や変化があったにもかかわらず、国際的なビエンナーレとして支えられ、1 度も中止することなく続いてきた。それほどチェコではポスターに対する関心が強く、大衆に支持され芸術の重要な領域として位置づけられてきた。隣国のポーランドは、第2 次大戦後国の歩んだ道が似ていたこともあり、ポスターの文化にも共通性が多く見られる。プラハでは、早くからポーランドのポスター展覧会が開催されるなど交流も深かった。
チェコでは映画のためのポスターも、宣伝媒体というよりはむしろグラフィック・アートと見るのが適切だろう。実際画面に配置される文字も少なく、タイトルも決して派手とはいえない。監督とどこの国の映画かなど、必要最低限の情報が提示されているだけで、あくまでも内容をイメージ化したヴィジュアル表現が主体になっている。商業性から解放され創造性を追究したポスターは、日本やアメリカの映画ポスターと比べると、どちらかといえばやや観念的で重く暗いイメージが漂うものもあるが、映画の解釈に基づいた表現、作家の個性が強烈に見える独特の世界を作り出す表現は、固有の世界観を生みだしたといえるだろう。

映画の語法とポスター

チェコのデザイナーであり、ブルノ・ビエンナーレの会長もつとめたヤン・ライリッヒは、「映画とは、スクリーンにある出来事を映し出して、叙述するだけの中間的なセルロイド・テープではなく、映画そのものに詩的メタファ、視覚的諧謔やシュールレアリスムなどの表現が活用されているのだから、ポスターがそれらのもつ表現方法のすぐれたところを取り入れるのは至極当然といえよう。ポスターは、映画のもつ基本的な雰囲気を喚起させ、タイトル、製作者、俳優の名前と、できるなら物語の出典などの最低限のデータを提供できれば十分なのであるが、より優れた宣伝とは、その映画についての情報をあらゆる角度から伝えて、映画ファンに興味をおこさせることであろう。」と語っている。(「東ヨーロッパのグラフィック・デザイン」『アイデア』別冊。1990年)
チェコの映画ポスターは、いかに映画の語法と密接に結びついているかがわかる。映画の内容からさらに内在するイメージを伝えようとする傾向が強く、作家の解釈に基づいてその映画が語るメッセージやイメージを表現しようとする。映像言語を新たなイメージ、視覚表象として提示するのである。
チェコのポスターには、コラージュやフォト・モンタージュを多用した表現が多く見られる。いくつかの場面を組み合わせて構成する手法である。映画自体が時間の表現であり、モンタージュを駆使し複数のカットの組み合わせでストーリーを構成していることを考えれば、ポスターのような平面媒体の中でも、複数の場面をモンタージュし構成することが有効な方法であることは納得できる。
このコラージュやモンタージュの技法は、ダダイズムやシュールレアリスムの中で積極的に使用され、また革命後のロシアでは、前衛美術運動として、さらには政治的プロパガンダの手法として使われた。
〈抽象〉とともに〈コラージュ〉〈モンタージュ〉は20 世紀初頭の芸術運動の重要な概念である。写真や映画の登場、心理学の発達が時間の概念を変え、空間と時間が一体的なものとして認識されるようになり、空間に時間の概念を取り込むことが試みられたのである。チェコでも同時代に絵画やデザインを学び、ポスターを制作していく過程で時代の状況や芸術運動に触発されたことは自然な流れである。作家は、視覚芸術の新しい思潮、表現のための実験に呼応して、自らも表現に新しい境地を開こうとしたのである。
しかし、映画とポスターは明らかに異なった表現形式である。映画は、それ自体が時間の流れと動きを持ち、物理的に上映時間も決定している。自由な時間の流れはここでは存在しない。場面の転換や視点の位置、対象を見続ける時間は何度見ても変わることはない。映像化されたストーリーは、否応なく進み、場面はどんどん展開する。見る行為もクローズアップやロングショットなど作る側の視点をそのまま受け入れる関係であり、観客に直接働きかけてくる。台詞や音も重要な役割を果たし、観客は映画の組み立てに身をゆだねるだけでも全体の物語は伝わってくる。
しかし1時間以上ある映画を1枚のポスターに凝縮させ、ストーリーを語ることは決して容易なことではない。作者がどう意図しても、ポスターは見る側が対象に働きかけなければ対話は生まれない。どちらも視覚像を媒介にしているが表現の特性は異なり、おのずと平面的な静止画に時間をどのように表現するかが問われる。映画では台詞や動きがイメージのつながりと展開を助けるが、ポスターはことばに依存することなく視覚像でイメージを伝える必要がある。同じモンタージュの手法を用いながらも独自の語法が求められる。ポスターの表現は作者と見る側の能動的な対話の形式を前提に成り立っている。ある意味で、描かれた要素を組み立てていくモンタージュの作用は見る側も共有することになる。映画が作る側の意味作用や演出によって決定され、観客に見方を強要する面があるのとは明らかに異なる。
ところがこのモンタージュの技法も、使われ方や目的によって随分意味合いが異なってくる。たとえば、ベルリン・ダダのフォト・モンタージュでは、ゲオルグ・グロッス、ジョン・ハートフィールドらによって、反権力や攻撃的手法として使われている。比喩的表現を多用し、意味的操作を徹底しているのが特徴で、中でもハートフィールドは、反ナチス、反体制を前面に打ち出し、写真が持っているイメージやメッセージを解かりやすく操作し、置き換え象徴化し、攻撃の対象、目的を強い意味として明らかにした。
一方で攻撃を受けていたナチスもモンタージュの手法を利用する。ナチスが大衆操作の方法として、視覚表現の様々な技術を駆使したことはよく知られているが、フォト・モンタージュは、とりわけ情報操作の有効な技法としてポスターや雑誌などのメディアに使用された。当然ここでは、国威の誇示やナチスが示すユートピア、政治的イデオロギーの正当性などが語られたことはいうまでもない。革命ロシアでも、モンタージュは、新国家建設を推進していくユートピア思想の中で、有効な視覚言語として様々なメディアを通して作用した。
写真は、確かにある真実を的確に語る。しかし、そこには時間的関係は含まれない。そのために、時としてそこに付けられる言葉や説明によって意味が全く逆になることもある。何枚かの写真を組み合わせれば、強調したり、省略したり、ストーリーを構成していくことができる。撮影時の意図とはかかわりなく、意味を変換したり、新たなストーリーを構成し、別のメッセージに置き換えることも可能なのだ。こうしたモンタージュが持つ特性のために、同じような表現の写真が、反権力の言語にも権力の言語にもなり得た。モンタージュの技法は、まさに有用性と危険性の両方を持ち合わせているのである。
いずれにしても、モンタージュの技法と考え方は、写真、絵画、それに純粋に造形的な要素である線、形、色彩を等位に組み合わせることで、情報の意味操作、加工、伝達に新たな方法論を獲得し、力動的で新鮮な空間的体験を可能にしたことは確かである。こうした新しい発見は、コラージュやモンタージュの過程で、内面に潜む幻覚や深い欲望としてのイメージの形象化を意識したマックス・エルンストや、外界の現実を異質な文脈から採られたイメージ群として解体し、絵の中を詩的空間として自在にイメージの組み替えを試みたルネ・マグリットらによって、さらに表現の可能性の広がりを持った。そして、視覚表現上の新しい語法は、現代アートのみならず、現代のデザイン、とりわけコミュニケーション・デザインの分野であるグラフィック・デザインやポスター、広告の技術的、実務的手法としても大きな影響を与えた。
ここで興味深いのは、チェコは第2次大戦後社会主義国としてソ連の影響下で規制を受けながら、社会主義リアリズムやプロパガンダのポスターにあまり支配されることなく、むしろシュールレアリスムの影響を感じるものが多いことだ。映画ポスターであることも理由として考えられるが、モンタージュの語法がプロパガンダから内面的な描写まで多義的な側面を内包していることによって、政治的意図やイデオロギーから距離を置くことができたのではないか。チェコでは意味的要素の組み立てよりも比喩や象徴性を際だたせ、作家の世界観を織り込んでいった。それが、コラージュやモンタージュをポスターの有効な語法として定着させたのだろう。

表現の特徴と多彩な表現

チェコのポスターは、一人の作家によってすべて仕上げられることが多く、作家の個性が前面に出た、きわめてアート性の強いものが大半を占める。社会主義体制下、制作環境は保証されていたが、表現に対して物理的にも精神的にも決して安定していたわけではない。権力に対して批判的なものも制作されるが、むしろ映画の時間表現の特性を意識し、グラフィック表現の新たな可能性を探究したことが特徴だろう。その結果構成上の問題にとどまらず、映画の主観的な印象や登場人物の心理描写にも目が向けられた。
コラージュやモンタージュを多用した表現が多く見られるのも、映画が視覚的モンタージュ、メタファーやシュールレアリスムなどの表現を内包していることを考えると、ポスターが同様の語法を用いたとしても不思議なことではない。さらに人間そのものへの関心と内面や精神世界の探究が個人の独創的な表現に向かった。特に1950 年代から70 年代にかけては、最も活気に満ちた時期であり数多くの傑作が残された。ポスターは、映画と深く結びつき独特の表現世界を創り出した。
チェコの映画ポスターは、告知するというよりは、映画の特徴や雰囲気を伝えようとする傾向が強く、作家は映画を解釈し、映像言語を新たなメッセージ、視覚表象として提示する。その点から見れば、チェコのポスターは版画の概念に近いといえる。絵画的な表現によるアート・ポスターの形式こそが、チェコのポスターの際立った特徴といえるだろう。それは作家の個性を前面に出すもので、作家にとってポスターは、自己の表現を競う格好の場になっていたのである。なかでも、カレル・タイスク(Karel Teissig)は、チェコを代表するグラフィック・デザイナーであり、ポスター・デザインにコラージュやモンタージュを用いたパイオニアの一人としてチェコの映画ポスターに大きなな影響を及ぼした。
映画を観ること、それは映画のメッセージをそのまま受け取るわけではない。鑑賞者にはそれぞれの解釈の仕方があり、映画のストーリーだけを追って、ただ納得するだけならこれほどつまらないことはない。それぞれが想像力を働かせる。ここでは、ポスター作家であるタイスィク自身が映画を楽しみ、自ら解釈することになるが、時には映像にないものも描き、映像以上のことを表現することもある。作家は自ら映画を楽しみ、創造行為として解釈しイメージを紡ぎ出し視覚的に見える形に表現するのである。作家の思考は、さまざまな形でイメージのすき間を埋めていく、さらにまわりのものと関係づけ、イメージに意味や形を与えていく。タイスクは、イメージを具体的に可視化する手法としてコラージュやモンタージュを使用するのである。
1959年のフランス映画『野獣は放たれた』(別図)のポスターは、通常見慣れている映画ポスターと随分違う。画面に配置される文字も少なく、タイトルも決して派手とはいえない。監督とどこの国の映画かなど、必要最低限の情報が提示されているだけで、あくまでも映画をイメージ化したヴィジュアル表現が主体になっている。平和な生活を送っていた昔やくざだった主人公が、かつての仲間を捕まえるために秘密警察に利用される。そこから複雑な展開になっていくストーリーだが、一般的には物理的なものをより連想するように表現するが、このポスターは、登場人物のもっと内面的なものを表している。コラージュによる表現は、その特性である意味性や象徴性を強く意識し、メッセージ化しているのがよくわかる。
タイスクの表現には、映画を前提にしながら独自の時間と空間に対するとらえかたがある。擬人化された主人公の顔や目の表情がメッセージを発し、見る側に語りかけてくる。描かれているもの、それぞれが意味を伴い視覚言語として構造化される。見る側はそこに立ち現れる世界を楽しみ、想像力を働かせる。タイスクが提示するイメージは、映画に想像力を働かせるのとはまた違った世界に誘う。このような方法論が同時期の作家にも影響を与えたのであろう。
日本映画に対する関心も強く『戦争と人間』(図31)では、象徴化されるものは直截的で、日本を表す記号と昭和初期の要人が手のひらに配されている。突き刺さる刀は傷つけることを意味するが、このポスターは映画の内容と必ずしも結ばない。ポスター機能のもう一つの側面、いかに映画に関心を引きつけるかが強調される。タイトルと記号化された解りやすい絵によって日本映画への入口を用意するのである。
こうして見ていくと、チェコの映画ポスターには解釈と表現の多様性も見えてくる。ポスターという形式にとどまらない表現の豊かさと多彩さである。グラフィック・デザインだけでなく、絵画を含め様々な表現領域、分野から吸収のあとが見られ、コラージュ、フロッタージュ、フォト・モンタージュなどを多用し、また映画制作上の技法や建築、舞台美術、音楽などからも表現方法を引き出している。あたかも視覚表現の実験場であり、その前衛性と強烈な個性が見えてくる。
ヨゼフ・ヴィレチャル(Josef Vyleťal)は、サルバードール・ダリやマックス・エルンストに傾倒し、写真と絵画の組み合わせから幻想的な世界を作り出す。『イージーライダー』(図73)では、馴染みのあるハーレー・ダビッドソンに乗ったピーター・フォンダとは異なる世界が描き出される。映画の背後にある〈自由〉や〈死〉を自らの解釈から引き出すが、フォンダが演じるワイアットは誰と何を語っているのか想像を掻立てる。ヒッチコックの『鳥』(図71)でも同様に鳥の群れが襲う情景はない。恐怖よりも鳥と登場人物に焦点があてられ、映画の象徴的なイメージを手がかりに自らの想像世界を構築する。エルンストの『花嫁の衣装』(1940)から引用するなど神話や古典の題材と結びつけ、過去と現実を重ね合わせる手法も特徴だろう。またポスターでは、映画と異なった視点から物語を組み立てているが、舞台美術も手がけるヴィレチャルならではの空間がそこには感じられる。
ズデニェク・カプラン(Zdeněk Kaplan)の『パリのめぐりあい』(図61)や『夜の大捜査線』(図70)からは、60年代アメリカのサイケデリック・アート独特の文字と色彩が見られ、カーヤ・サウデック(Kája Saudek)の『バーバレラ』(図72)では、コミックの様式とともに同時代のポップ・カルチャーを独自の解釈で取り込んでいる。西欧やアメリカとの社会や政治的環境の違いはあるにせよ、同時代の大衆文化と同じ位置に立って表現していることが意義深い。
地域やイデオロギーを超えて時代が様式と文化を作りだすが、それでもチェコの固有性を持ち得るのは、国や地域、そして個々の記憶の蓄積と歴史だろう。そして、映画ポスターという機能や形式を超えて、大衆のアートとして身近な存在であり続けたことも大きい。

チェコ・映画ポスターの表象