『はらぺこあおむし』

エリック・カール作、もりひさし訳、偕成社、1976年
Eric Carl, The Very Hungry Caterpillar, 1969
デザインされた絵本を遊ぶという感覚

今井良朗

絵本を遊ぶ

『はらぺこあおむし』は、エリック・カールの作品の中で最も親しまれている絵本であり、カールの出世作でもある。ストーリーは、おなかの空いた小さなあおむしが、おなかいっぱい食べて最後はきれいなチョウになるという、とてもシンプルなもの。しかし、本を開くと、色鮮やかな画面が目に飛び込み、あおむしが登場するところから、もうこの絵本の世界に引き込まれてしまう。りんご、なし、すもも、いちご、オレンジ、日に日に食べる数が増えていく。りんごが一つだけ描かれた幅の狭いページは、数が増えるに従ってだんだん広くなっていく。それぞれには、直径一センチほどの穴が空いていて、あおむしが次々に食べていく様子が立体的に把握できる。
りんごやなしの真ん中に小さく空いた穴と少しずつページの幅が変化するという、ちょっとした仕掛けなのだが、このわずかな仕掛けによって、ページとページの間に立体的な空間がつくられる。子どもたちは見るだけでなく、触ったりのぞいたりしながら、絵本の空間の中に引き込まれていく。身体的な対話が始まるのである。むしろここでは、絵本を読むというより、遊ぶ感覚に近づいていくのかもしれない。まさに体感的に絵本にかかわっていく。しかも、圧巻はケーキ、アイスクリーム、チーズ、キャンディー、すいかなどがずらっと並ぶページ。本来あおむしが食べるはずがないものも、子どもにとっては大好きなものばかり、好きなものを食べたいだけ食べるあおむしに自分を重ね、すっかり夢中になっていく。そして最後は、あおむしがきれいなチョウになることで、子どもたちは、驚嘆の声を上げる。導入から展開、さらに最後の結末まで、決して子どもを飽きさせない、見事な構成である。
カールの絵本の特徴は、子どもの発想、日常がそのまま反映していることだろう。子どもは、食べもののお話が好きだ。好きな食べ物がたくさん描かれていて、それをおなかいっぱいになるまで、どんどん食べていくあおむしに自分を重ねる。好きなお菓子を食べられるだけ食べてみたいという子どもたち誰もが持っている欲求を刺激する。日常と重なる分かりやすさ、子どもにとって身近なことだから親近感を持つことができる。
カールの絵本づくりは、子どもたちにいかに興味を持ってもらうか、というところから始まる。テーマも画面の構成も色彩もすべてそうだ。そのために仕掛けも施される。グラフィックデザイナーとしての経験がそうさせるのだろう。だから子どもたちは、直感的に理解し、カールの世界に導かれる。まさにデザインされた絵本なのである。

色彩やかなテクスチャー

鮮やかな色彩とコラージュもカールの絵本には欠かせないものであり、独自の技法がカール固有の絵本の世界をつくり出している。カールは、素材そのものをつくる。色紙は、薄い紙に自分で色をつけ染めたものだが、アクリル絵具が透明感のある鮮やかな色彩を生み出す。筆で塗るだけでなく、こすったり、ひっかいたりとさまざまな手法を用いることで、独特の質感と模様が表れる。印象派の絵画からもヒントを得たというこの手法は、計画性と偶然性を合わせ持ち、カールの創作活動の基盤にもなっている。
混ざり合った色と模様は、単なる色面ではなく、自然や物質のテクスチャーの抽出であり、そこにはカールの世界として、さまざまな意味を含み込む。あたかも色の宇宙を成している。つくりためられた大量の色紙は、分類されマップケース(大型の引き出し収納棚)にストックされているが、引き出しの中は、カールの記憶や思考、イメージの貯蔵庫でもある。色紙をつくるとき、いつどんなふうに使うかは考えない。数ヶ月後あるいは数年後に取り出されたときはじめて生き生きとした形が与えられる。
カールの制作過程は、色紙の引き出しにアクセスしながら絶えずイメージを重ねていく。計画どおりに、絵を仕上げていくのではなく、手が動いている間中思考と想像は留まることがない。頭に浮かんだ新しいイメージが引き出しの中の色紙を探す。このような途切れなくイメージを働かせる制作プロセスが、読み手と時間を共有させるのだろう。

描かれないリンカク

カールの絵にはリンカクがない。絵を描くのではなく、色を持ったパターン、素材がパーツとして自在に組み合わされてできている。用いられる技法は、平面上に紙片、印刷物などを貼り付け構成するコラージュという手法である。意外性や偶然性を取り入れ、まず自分自身の感覚世界を研ぎ澄ますところから出発する。ナイフやハサミでカットされた素材は、自在に組み合わされていくことで、関係づけられ全体を構成するが、決して閉じられた形ではない。動きと広がりを持ち続けるのである。
リンカクにとらわれないということは、既成の形にとらわれない、既成概念にとらわれないということでもある。大胆に面としてとらえたとき、鮮やかな色彩が、パターンが、質感が生き生きと浮かび上がる。すべてのものは、形態の模写ではなく、構造としてとらえられる。感覚的にとらえられた形態は、読み手のイメージを束縛しない。明確なリンカク、細部が描かれないために見るものの連想作用に強く働きかけ、読み手は、イメージを増幅させながら楽しむことができる。
木を見たり、描いたりするとき、一枚一枚の葉っぱを細かく見たり、描いたりするよりもまず全体として把握する。それと同じことで、描く方も見る方も感じ方、楽しみ方は自由である。カールのあおむしは、実際のあおむしと比べると随分デフォルメされている。それでも疑いなくあおむしであり、読み手は、カールの世界を楽しみ、さらにイメージを飛躍させ、頭の中で動かしてみる。あおむしは、いつまでも留まることがない。

エリック・カールは、一九二九年にニューヨーク州シラキュースでドイツ人の家庭に生まれた。六歳のときドイツに戻り、シュツットガルト造形美術大学卒業後アメリカに再び戻り、グラフィックデザイナーとして活躍した。一九六八年はじめての絵本『一、二、三どうぶつえんへ』でボローニャ国際絵本原画展グラフィック賞を受賞。絵本の仕事に専念し数多くの作品を手がけた。『はらぺこあおむし』は、三二カ国で出版されている。