『おやすみなさいおつきさま』

マーガレット・ワイズ・ブラウン作、クレメント・ハード絵、瀬田貞二訳、評論社、1979年
Margaret Wise Brown, Pictures by Clement Hurd, Goodnight Moon, 1947
ことばと絵のリズムが心地よい

今井良朗

子どもたちを魅了するもの

「おおきな みどりのおへやのなかに でんわが ひとつ えの がくが ふたつ—–」で始まるこの絵本は、明確なストーリーを持たない。
みどりのへやの中の「こねこが にひき てぶくろ ひとそろい にんぎょうのいえ こねずみ いっぴき」とそれぞれのものを指し示したあと、「おやすみ おへや」「おやすみ おつきさま」「おやすみ あかりさん おやすみ あかいふうせん」と続いていく。部屋の中の様々なものと窓の外の「つき」や「ほし」「よぞら」におやすみをいっていくという実に単純な構成である。
にもかかわらず、長い間時代や国を越えて多くの子どもたちを魅了し続けてきた。幼児を意識してつくられたこの絵本には、不思議な静寂と時間の流れがある。一人で読むよりも、母親に読んでもらいながら眠りについていくそんな情景を想定しやすい。現に子どもたちは、「おやすみ そこここできこえるおとたちも」で終わるころ、やすらかな眠りについていく。まさに「おやすみなさい」の絵本なのである。
では、この絵本の魅力はどこからきているのだろう。それは、ゆるやかにつながっていくことばのリズムだろう。瀬田貞二の翻訳も絵と見事に調和しているが、原書では、”And two little kittens And a pair of mittens” “And a little toyhouse And a young mouse”など韻を踏んだ音のリズムがさらに心地よい。
この絵本の作者としてマーガレット・ワイズ・ブラウンの名前のみが挙げられることが多いが、ブラウンは、絵を描かない。絵は、クレメント・ハードである。それでも『おやすみなさいおつきさま』は、ハードの絵としてよりもマーガレット・ワイズ・ブラウンの絵本として知られている。それだけ、テキストの魅力が際立っているということだろう。もちろん、ハードの絵との見事な調和があって、この絵本が成り立っていることはいうまでもないことだが。
ブラウンは、四二歳で急死するまでの間一〇四冊の子どもの本を手がけ、テキストしか書かなかったが、絵本作家としてその名を知られてきたのである。

ことばと絵のハーモニー

「くまさん」「いすさん」「ねずみさん」それぞれのことばは、「おやすみ—–」ということばにつながり、さらに絵と結ばれて、全体へと関係づけられていく。小さな子どもにとって、身の回りのものや出来事を自分自身と関係づけてつなげていくためには、ことばが重要な役割を果たしている。小さな子どもにとって、すべての事が新たな発見であり、出会いである。絵本の中の一つひとつのものを確認していくことは、常にまわりのものと自分とがつながっていることの確認作業でもある。登場するすべてのもの「とけい」「くつした」「にんぎょうのいえ」それらには日々の物語が込められている。
耳から入ってくることばは、描かれた絵を媒介にしてさまざまな事象と結びつき秩序立った世界として認識される。それは日々の生活を振り返り確認することでもある。視覚的な認識とことばによる認識の連関の中に知らず知らずのうちに世界を対象化していくのである。それは、「ごっこ遊び」に見られる情景にも近い。複数の子どもたちで行われる「ごっこ遊び」は、身の回りの物事を自分自身とつなげ、自分とまわりの世界を認識し、さらに世界をひろげていく方法として自然に生み出された子どもの知恵である。興味深いことに、無言の「ごっこ遊び」はほとんどない。ことばが遊びや子ども同士をつなぐ重要な役割を果たしているからである。
この絵本は、ことばと絵と読者が三角形で結ばれる。詩的なことばがバラバラにある物事をつなぎ、時間の流れと独特の空間をつくり出していく。ブラウンが絵本作家たるゆえんは、ことばを紡ぎ出す過程で視覚的なイメージを頭の中に描き出していたからだろう。ことばだけでなく一冊の絵本として構想していたことがうかがえる。

計算されたページ構成

カラーとモノトーンが交互に表れるページ構成もこの絵本の特徴である。カラーページでは、部屋の全体を、モノトーンのページでは、それぞれのもの、部分が表されている。しかし、これは意図的なものではなく、もともとは経済的な理由によるものだ。
表面をカラー、裏面を一色刷りにしたものを折り丁にして製本すると、カラーとモノトーンが見開き単位で交互に表れる。本来は物理的な制約だが、交互に展開することを前提に画面の組み立て方を意図的に計算しているのである。
一九二〇年代から一九四〇年代に制作された絵本にはめずらしい方法ものではなく、どの絵本もこの制約を巧みに利用して表現している。『おやすみなさいおつきさま』をはじめ、『せんろはつづくよ』など、ブラウンの絵本では、この制約を見事に生かしているのは、ブラウン自身編集者としての経験を持っていたことも無縁ではないだろう。
全体と部分、交互に表れる構成は、韻を踏んだ詩的なことばと絵が絶妙に調和しながら全体へと関係づけられていく。一見単純なストーリーと構成だが、見るものがイメージですき間をうめることができるのである。ことばと絵が絶妙に計算され構成されている、そんな絵本なのである。

マーガレット・ワイズ・ブラウン(1910—-1952)は、ニューヨーク・ブルックリンで生まれた。大学卒業後、教育に対する関心が高まり、バンクストリート教育大学の実験教育を行う幼稚園クラスで子どもたちとの関係を探った。ここでの仕事が絵本出版のきっかけになる。それまでのおとぎ話や寓話に対して、日常の自然な子どもの描写を願い、絵と融合することを前提に、詩的なことばによる絵本のためのテキストの世界を切り開いた。ブラウンは、画家にも恵まれていた。『おやすみなさいのえほん』のジャン・シャローや『たいせつなこと』のレナード・ワイスガードとの作品もよく知られている。日本では三六冊の絵本が翻訳されている。