「狼と子羊」「ウサギとカメ」「ライオンとネズミ」など、イソップ寓話は多くの人に知られた馴染み深い物語だ。時代や国を超えて表現され、現在でも読み継がれているが、広く知られるようになったのは、15世紀活版印刷の普及だった。活版印刷の実用化で、印刷された聖書は30年ほどの間にヨーロッパ全体に広まったが、同じような勢いで出版されたのが読み物としての「イソップ寓話」だった。寓意本や諷刺本、小説など、素朴な木版画の入った安価な活版印刷による読み物が庶民に普及したころだ。その代表的な書物がイソップ寓話だった。活字のテキストに木版画の入ったイソップ寓話は、民族や年齢を超えて受け入れられたが、だれにとっても身近なものになり得る可能性を当初から持っていた。
イソップ寓話は口承によって語り継がれてきた教訓的な物語だが、だれもが内容を共有するためには、一定の基準や規則性があり、簡潔に伝えることが必要だった。特に寓話のように教訓や処世訓を語る場合はなおさらである。一つの教訓を明確に伝えるためには余計な要素は必要なく、登場人物と行動を単純化し、特徴を強調するために複雑にならないように組み立てている。また特定の時代や場所を固定せず、だれもが共有できるように、表すことを必要最小限に留めている。
口承による物語は記憶を基に語られるが、一つ一つの出来事を関連づけていくことによって時間の経過が生まれる。耳から入ることばは、他の要素や出来事に惑わされることなく、線上に繋がるストーリーとして記憶される必要があった。物語を繰り広げていくうえで、シンプルに基本的な考え方と構成に必要な要素が整理されていたことになる。
イソップの名を冠した物語は、すでに2,500年の時を経ている。イソップは、紀元前6世紀初頭古代ギリシャ・サモス島の奴隷で、多くの寓話を残したといわれているが、イソップ自身が書き残したものはない。口承によって語り継いだ物語だったからだ。だが、イソップが物語を語る才能に長けていたことや、キツネやガチョウ、ライオンなどの動物を題材にした幾つもの寓話を創作したであろうことが、紀元前4世紀ごろの記録に残されている。その後、イソップの寓話を収集し、散文にして書き留められ、さらに寓話集としてまとめられていった。その過程で新たな物語も加わり、分類や編集が行われてきたと考えられている。(註)そこには口承の寓話から文学に発展していく過程、印刷技術を伴う出版の変遷があり、2,000年以上にわたって作家や編集者など、多くの人々が関わってきたことになる。それでもなお、イソップの名を冠した寓話集として出版され続けているのは、寓話や物語とその後の出版文化を見ていくうえで、起源ともなりうる要素や修辞法を見出すことができるからだろう。
イソップ寓話では、動物たちが重要な役割を担っている。動物に人間の仕草や行動を重ね、喩えることで見え方を変え、隠された意味を伝える。擬人化と比喩的な表現こそ、イソップ寓話の大きな特徴といえる。擬人化はただの置き換えではなく、動物であり人間でもある両義性を持った記号となる。動物に性格を与え、ユーモアを加えることで人間から少し距離を置くことができる。動物たちの行動を通して、知らず知らずのうちに、生きていくために必要な教訓を身につけようというわけである。キツネは狡猾でウサギは臆病など、その動物に特有の性質を与えることで類型として定着し、その特性は普遍的なものとして今日まで引き継がれているものも多い。異なったものの中に類似性を見出し、解釈し楽しむ比喩は、想像や創造に欠かせないものであり、日々の暮らしにも見られる。空が赤く染まる日没を〈夕焼け〉と呼び、穏やかな池の水面を〈鏡のような水面〉と表したりもする。類推はさまざまなものを並べ比較し、ことばを並べるだけでなく、それぞれを繋ぎ関係づける。動物による物語であっても、人間を通して見たり、考えたりすることと重ね、人間と周辺環境との関係性をそこに見出すことができるからだ。隠喩や換喩など比喩的表現が文学や美術など創造行為に大切な役割を担っていることはいうまでもない。
イソップ寓話は、神の視点から解放された生活に寄り添った人間的な物語でもあった。だからこそ、語り継がれる生活の知恵や戒めが生きる。寓話を通して、教訓を伝えるだけでなく、自然や世界に触れ、感じ取り、考える力を身につけることの大切さを学ぶことができた。
イソップ寓話は、早くから絵としても描かれ、15世紀には活版印刷機の発明をきっかけに図版入りの庶民の読み物として大量に印刷され普及した。語りが持っていた物語の特性は、再編集され文学として成立し、図版は物語に視覚的な情報を補うことを目的に使用された。絵画と情報、両方の役割が意識されるようになったのである。もっとも、図版はある一つの場面を表していても、必ずしもテキストに呼応するように配置されていたわけではない。テキストに寄り添うというよりは、独立した存在としても捉えられていた。印刷された書物は、何枚もの図版が入っていることに価値を見出し、図版は情報と絵画の両方の価値を兼ね備えていた。その結果、豊富に図版を揃えるために、異なった場面で図版を転用することもあり、小さな図版は分野の異なる書物に転用されることも珍しくなかった。このような慣習は19世紀まで続いた。ウオルター・クレインが、安易な図版の転用や製版と印刷の合理化に異を唱えたように、同じイソップ寓話でも、書物の体裁も図版の扱われ方もさまざまだった。
一方で、図版の独立性が絵画的な価値を高める側面もあった。イラストレーションには、テキストとはまた違った作家の視覚的なイメージが入ってくる。民族性や文化の違い、そしてテキストで表された寓意に対する解釈の違いも視覚化される。イソップ寓話は文学としての修辞法と同じように、イラストレーションも印刷製版技術の変遷とともに独自の手法を探究しながら発展していった。銅版彫刻やエッチング、木口木版、石版、写真製版といった印刷製版技術の特性に合わせた表現も生まれる。その後、膨大な数のイソップ寓話をテーマにしたイラストレーションが生まれたことからもわかる。
寓意本や寓意画は、テキストとイラストレーションの両方から見ていくことによって、書物におけることばとイメージについて考えるうえでも示唆に富んでいる。寓意画は、歴史書や科学書、思想書などの扉絵としても用いられた。難解なテーマを理解するための絵による解読であり、テキストの要約を寓意画で表していた。これはエンブレム・ブック(寓意集)の応用でもあった。15世紀から17世紀にかけては大航海時代でもあり、〈集める〉〈観察する〉〈分類する〉といった行為を通して、異文化への関心や知の探究が進んだ時期でもあり、視覚情報、視覚表現に対する関心も高まった。書物に挿入されるイラストレーションは、情報と絵画の両面で価値を持ち、博物図譜やディドロの『百科全書』などに繋がった。
註 Early Children’s Books and Their Illustration Aesop’s Fables by Gerald Gottlieb The Pierpont Morgan Library, New York, 1975, AESOP Five Centuries of Illustrated Fables by John J. McKendry The Metropolitan Museum of Art, 1964
