朝ドラ「ばけばけ」にはまっている。今年最後の〆に心が揺さぶられた。ついに橋を渡った、日が昇りはじめる浜辺で、逆光の中で手を取り合った場面は感動的だった。前半の終え方として心憎いまでの演出だ。お時さんとヘブン先生のここに至るまでの機微の変化を凝縮している。毎回見応えのある場面があり、その積み重ねがあってのこの情景だからだろう。
先々週、二人の距離を縮めた怪談の語りも印象的だった。お時さんの語りに心を奪われた。表情や仕草に語りならではの臨場感があり、表現力の豊かさに魅了された。このような場面の一つ一つが繋がっていく、その延長線上に浜辺での場面があった。
毎日の物語の展開もそうだが、時代設定や演出も気になり二度愉しんでいる。明治時代は、男性の洋装化が早かったのに、中ごろになっても着物に日本髪という女性の装いは変わらなかった。職を失った武士と商人の関係など、地方都市の情景や暮らしぶりも見ていて面白い。
この種のドラマは、脚本の善し悪しで決まるところがあるが、見える形にするためのキャスティングや演出が視聴者の心を捉えることに直結する。脚本を際立たせるためには演出があってこそだ。個性的な役者が、それぞれの持ち味を出しているのもこのドラマの魅力だが、際立っているのは独特の演出だと思う。細かなところまで丁寧に気が配られていて、つくり手の制作に対する強い想いを感じる。室内のセットにも、調度品の選び方から配置まで、雰囲気づくりに生かされ、効果的に映し出される。そして何よりも、室内の明かりや外光の取り入れ方など光の演出に工夫が凝らされ、カットの繋ぎ方やカメラの視点と視線も巧みに使われている。
怪談を語る場面では、座っているときの顔の高さに合わせた視点から、近づいたり、少し離したりと、微妙な距離感を楽しんでいるようにみえる。その視点は、お時さんとヘブン先生、さらに三人称の視点も加わる。ヘブン先生の背後からお時さんを見る視点には、視聴者が近くに寄って見ているような視点が重なる。ヘブン先生の動揺や感情の揺さぶりを共有できるのだ。間近で見ているような息づかいを感じ取ることができる。
演劇でも、音楽でも、もちろん美術やデザインでも、受容者との相互的な関係がその場に生まれるかが大切になってくる。物語に参加するためには、つくり手と視聴者との対話性が必要なのだとつくづく思う。時代や環境が異なっていても、視点を共有できる感覚があるからこそ愉しめる。深入りしていくと、さまざまな分野での表現手法を取り入れているようにもみえる。カメラアングルやカット割りなど映画の手法はむろん、象徴的に映し出される大橋と周辺の建物は舞台美術を、人の配置には、ときに浮世絵やマンガの構成を思わせるものがある。分野を超えて表現を参考にしながら、演出しているのではないかと想像してしまう。
見せる楽しみと見る楽しみは、どのような表現分野でも同じで、内在する本質的なことは変わらない。丁寧につくられたドラマは、見ているものを夢中にする。年明けの5日から次の章がはじまる。どのような展開になっていくのか楽しみだ。
