40-イメージの空間

ヨーロッパの街を訪れるとき、ゴシック様式の教会に足を運ぶことが愉しみの一つになっている。独特の建築様式と内部空間は、この時代特有の象徴的な建築物であり、ヨーロッパの芸術文化とイメージについて考えるうえでも興味を引かれるからだ。

 パリ、シテ島にある教会、サント・シャペルをはじめて訪れたときの衝撃は忘れられない。壮大な空間からは、目に入ってくるものすべてに圧倒される。視界いっぱいに広がるステンドグラスから差し込む光、鈍く輝く黄金の装飾、聖像彫刻、聖像画、そして天を仰ぐほどのアーチを描く天井が身体を包み込む。この場所がどれほど社会に影響力を持っていたかが想像できる。サント・シャペルは、13世紀のゴシック建築による教会として傑作の一つといわれるのも頷ける。その後修復されてきたが、直径15メートルほどの円形のステンドグラス、バラ窓も美しい。聖書からとった〈ことば〉が、絵物語として見える形で場面ごとに描かれている。自然光が豊かな色彩を輝かせ、聖なる光の空間をつくり出している。

 中世ヨーロッパの教会は、聖像彫刻、聖像画、賛美歌、音楽、説教、ステンドグラス、光、香りなどが一体的に演出された空間だ。聖書の世界観を再現し、信仰を明確にするために設計されていた。天井が高く、光に満ちた荘厳な空間は、聖書を通して物語を伝え、共有する場として機能していたのだろう。この空間の捉え方や考え方は現代にも影響を与えている。

 同時期のフィレンッエの教会サンタ・マリア・デル・フィオーレは、ルネサンスへの移行期にあたり、サント・シャペルと趣は異なるが、新しい都市に展開していく芸術文化や、空間に対する視覚的な捉え方の違いが面白い。大聖堂のドーム状の天井には、ジョルジョ・ヴァザーリによる「最後の審判」がフレスコ画で描かれている。人類が滅びていく過程から、最後にはキリストが再臨し裁くという一連の物語だ。ここでは絵画による一連の物語性が際立ち、重要な役割を果たしている。この時代は文字を読める人も限られていた。聖職者が時間をかけて語ることによって、信者との一体感が生まれたのだろう。

 この空間と環境がどれほど重要な意味を持っていたかは、訪れてみるとわかる。見上げて天井画を目で追っていくと、不思議な感覚に囚われる。天井が高いために、上に引き込まれていくように感じるのだ。このような空間は、意図的につくられたものであり、偶然ではない。イメージの空間をつくり出すことによって、想像力に働きかけ、心を動かすことを理解し、実践していたことがうかがえるからだ。説教や賛美歌、パイプオルガンによる音楽などが入らない状態でもそうなのだから、ここで執り行われていたことが、いかに荘厳な雰囲気を醸し出していたか想像できる。教会の空間は、人の全感覚機能を刺激する複合的な空間であり、物語空間でもあった。

 対話もコミュニケーションも〈場〉がなければ成り立たない。この空間では、彫刻や絵で語ること、ことばで伝えることがまずあり、より効果的に演出するために、ステンドグラスから差し込む光や、黄金の細工、音楽など、さまざまな仕掛けと演出が行われていた。物質性、非物質性を超えたメディア空間そのものだった。その〈場〉で生じること、どのような状況を〈場〉につくり出すかが重要だった。

 このような空間は、そこに集まった人々を支配することにも繋がり、プロパガンダや宣伝手法としても受け継がれていった。アメリカの大学では、チャーチ・マーケティングとしてプログラムに組み込まれているところもあり、中世の教会の演出手法が応用されている。アメリカの大統領選挙はこの手法の典型だろう。会場の設えから音楽や光の演出など全体的なイメージをつくり上げ、権力を象徴するような演出が施されている。

 けれども、見方を変えれば、人が暮らしを楽しむための本質的な空間として捉えてみることもできる。私たちを取り巻く環境は、断片的でバラバラに存在しているのではなく、それぞれが関係づけられ、まとまりのある環境として認識している。断片化しているのも、関係づけているのも人間である私たちだ。そのことをあらためて問い直して見たい。

 芸術表現の領域でも、ルネサンスを契機に専門性が高まるにつれ、個別に分化が進んだ。中世の宗教音楽はクラシック音楽に、聖史劇はオペラとして現在に繋がっている。絵画や光の表現もしかりだ。

 1990年代に入ってから、パソコンの普及に合わせるように、人の身体機能と知覚という、変わらない機能を見つめ直す動きがあった。身体性を意識した体感する美術やデザインへの関心がそうである。音楽でも領域を超え、直感的な操作が注目された。共通しているのは、作家と受容者との相互作用、そこで生じることを意識したことだろう。

 あらためて、中世ヨーロッパの教会と、そこで執り行われていたことから見えてくること、学べることがあるかもしれない。語ることも、伝えることも、明確な対象と場所が必要だ。視覚表現の分野でも、絵で語ること、ことばで伝えることの本質を捉え直すことが求められているのだと思う。